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読書の春。「好き」の暴走。

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白い木蓮が散り、桜の花が咲き始めた。

私は世の中にある花の中で白い木蓮の花がいっとう好きなのだけど、白い木蓮の花って咲いている時期が短いように思う。

特に今年はパッっと咲いてパッっと散ってしまった気がする。花が散るのは残念だけど、白い木蓮の花が散る頃には本格的な春がやって来る。

娘が春休みに入って数日が過ぎた。

春休みがはじまるまでは、それこそ憂鬱で仕方がないのだけど、入ってみるとなんて事はない。

娘が学校に行っている時ほど融通が効かないけれど少しずつ手がかかせなくなったのも事実で、要所さえ押さえていれば娘を放置する事も可能になった。

例えば公園に連れて行っても私はベンチに座って本を読む事が出来る。今までもそういう事はしていたけれど「お母さん、一緒に遊ぼうよ」だの「お母さん、ちょっと見てて」と呼ばれる事が多くて、なかなか本に集中する事が出来なかった。

しかし、この春はお友達同志で遊ぶ事が多く、おかげで本に集中する事が出来る。

春休み中は意外と読書が進みそうな予感。

つい先日は公園で中山可穂の新作を読んだ。

最近、姫野カオルコ中山可穂とかつて熱病にかかったほど夢中になっていた作家さんの作品を読む機会に恵まれている。中山可穂も姫野カオルコもずっと追いかけているけれど、途中何度も「もう、この作家さんにはついていけない。

「もう中山可穂からは卒業する」と宣言するも結局戻ってしまっている。私は現実の人間関係だとサッパリした付き合いが出来るタイプ。

たとえば恋人と別れると決めたら、その瞬間にメールアドレスと電話番号を携帯から削除していたし、関わらないと決めたらトコトン避けて通ることだって平気だ。

だけど、趣味の事となるとそうはいかない。1度好きなってしまうと「もう駄目だ」と思いながらも離れる事が出来ないらしい。そして1度好きになってしまうと「好きだ」という気持ちを自分でも持て余すほど暴走してしまう。

……とは言うものの、根が小心者なのでファンレターを出すところまでは、なかなかいかない。

「好き」が抑えきれなくてファンレターを出してしまったのは生涯で遠藤周作ただ1人。もちろん返事は来なかったけれど、小娘だった私は遠藤周作の元に自分の書いた手紙が届いたと思うだけでも満足だった。

関係ない話だけど芸能人に出したファンレターは、小学生の時に出した藤山寛美だけ。

どこに出しら良いかも分からず松竹新喜劇が公演中の松竹座に出した。戻って来なかったので届いたのだろうけれど、もちろん返事は来なかった。

どうしてファンレターの話を書いたかと言うと、私の中で姫野カオルコと中山可穂への情熱が再燃してるからだ。「ファンレターを出したい」とか、そう言うのとは違うのだけど「作品を全部読み返したいな……」とか、そんな感じ。

だけど他にも読みたい本があるのが悩みどころ。心ゆくまで本を読むには人生はあまりにも短過ぎると思う。