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伝統行事を守り続けていく事の難しさ。

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今年の初詣は家族で山の中腹にある神社まで歩いて初詣に出掛けた。

神社は自宅からだと歩いて1時間ちょっとの場所にある。同じ市とは言っても、私達が住んでいる住宅地とは佇まいが違っていて、それこそ映画『サマーウォーズ』に出てくるような、日本人が「懐かしい」と感じるような「The・日本家屋」と言いたくなるような大きな旧家が多い地域を抜けていく。

聞くところによると田舎的付き合いが濃い地域。新興住宅地で生まれ育った私などは正直言って「暮らすのはしんどうそう……」と思ってしまう。

しかし、その地のお正月の風景はなかなかのものだった。どの家も玄関先には伝統的なにしめ飾りを飾り、大きなお宅は立派な門松。門松をしない家は松飾りをしていて、歩いているだけでお正月ムード満点だった。

私が住んでいる地域ではお正月と言っても、「しめ飾り風のリース」が飾りどころか、しめ飾りをしない家も多いので、それは驚きの光景だった。

ちょっと話は飛ぶけれど、私は昨日の日記で「おせち料理のジレンマ」につて書いている。

「おせち料理に物申す!」と言うほど、気概のある話ではなくて、おせち料理が面倒臭いと思っている主婦の愚痴に過ぎない。しかし、おせち料理に限らず「お正月の準備」とか伝統行事の準備って総じて面倒臭い。

私は『2ちゃんねる』が大好きで今は既婚女性板を見ることが多いのだけど、年末年始の既婚女性板は荒れに荒れる。

既婚女性達は「実家・義実家への年始の挨拶」でストレスが溜まりまくりネット上で喧嘩をするのが恒例行事。「実家・義実家への年始挨拶なんて行きたくないから行かない! 喧嘩上等!」と荒ぶる武闘派がいるかと思えば、親と同居していて「自分は行きたくないからって、夫と子どもだけ義実家に送り込む嫁、フザケルな! 誰が彼らの面倒を見ると思っているんだ!」と憤慨している一団もいる。

結局のところ「実家・義実家の年始挨拶および親戚行事」については、心から楽しんでいる人は少数派で、誰もが多かれ少なかれ面倒臭いと思っている…って事だ。

「いっそ嫌なら伝統行事なんて全部辞めちゃえばいいじゃない?」と思うものの、そう簡単にいかないのが辛いのだと思う。

おせち料理にしたった「そんなに好きじゃないけど無いと寂しい」と思うのだし、私も「お正月の準備は面倒だ」と思うくせに、旧家の多い地域のお正月の風景を見て「わぁ…素敵」と感心している。

「親戚付き合いなんて面倒臭い」と言いながら、一方では『サマーウォーズ』を観て「懐かしい光景だよねぇ」と言ったりもする。

そしてWEB上で「伝統行事や風習なんてクソ食らえだ!」みたいな事を書いている人達も、それはWEB上だから出来る事であって、現実世界でそれを声高に叫ぶ事の出来る勇者は少数派ではなかろうか。

多くの人は「まあ、それなりに」折り合いをつけてやり過ごしているのだと思う。伝統行事をキッパリと切り捨てる事が出来ないのは良さを知っているから。

だけど、純粋に楽しめてはいないのだ。楽しいところだけカジュアルに享受出来れば最高なのだけど、そうは問屋が卸さない訳で。

私自身、娘を育てていて「日本人なんだから、大人になって恥ずかしくない程度に教えておかねば」と言う意識が無ければ、お正月の準備も今以上に省略していたと思う。

今年はお正月に限らず伝統行事を守り続けていくのは難しいな……と思った。

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