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20年ぶりに東京を歩いて感じたこと。

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黄金週間は20年ぶりに東京へ行った。

私が最後に東京に行ったのはたぶんコミケ。サークル参加だったかな。ボンヤリとしか覚えていないけれど、当時の私にとって東京はコミケの開催地だった。それ以外の目的は「東京にいる友だちに会う」って感じ。20代の頃はディズニーランドにも足を運んだけれど、ディズニーにはハマることがなく50代を迎えた。

結婚して子どもが産まれてからの旅行は常に家族単位だった。夫は出張があったし、娘も修学旅行や合宿で家を空けることがあったけれど、私は常に家に張り付いていた。こんな風に書くと「やっぱり女は家族の犠牲になるんだ」と言う人がいるかも知れないけれど、決して強制された訳じゃない。夫は「たまには1人で旅行すればいいのに」と言ってくれる人だったけれど、私の中で「娘を1人で放っておいても良いと確信するまでは家にいる」と決めていたのだ。そして、この春。娘が大学に入学したことで1人旅を解禁した。

2泊3日の東京旅行。「そっちに行くので会ってください」と言って時間を作ってくれた友だちには感謝している。全員、決して若くはないのだ。時間の大切さは自分自身、身に沁みて感じている。なので今回の旅は「友達のいるところに行く」だったので、観光については「時間の合間にどこか見物できたらいいな」と言うスタンスだったけれど、結局のところ私が大阪にいて行動しているノリと同じ感じで過ごしてしまった。今日は3日間東京に滞在して感じたことを書いておきたい。

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東京駅は人も物も多過ぎる

東京に降り立って最初に驚いたのは人の多さと物の多さ。夫から「東京駅に行ったらビックリするよ。まぁ、1度ウロウロしてみるといいよ」と聞いていたので、昔の東京駅とは違うのだろうな……と予想していたけれど、予想以上だった。

「東京に行ったら職場とか仲良くしているご近所さんに東京でしか買えない美味しい物でも買って帰ろう」と思って、東京駅のお土産物売り場を歩いてみたけど、歩いても歩いてもお店があって、どれもこれも良さそうに見えた。そしてしばらく歩くと別の場所にも同じ物が売っている。永遠にそれの繰り返し。そしてどこに行っても大行列。お土産物の迷宮に放り込まれたような気持ちになってしまった。

あまりにも沢山の物と人間に面食らってしまって「これじゃあ駄目だ」と東京駅を離脱した。

東京土産で戴く物って「東京ばな奈」とか「ごまたまご」がやたら多い。インターネットの記事で見掛けるような「東京駅で人気のお土産」みたいな物は意外と少なくて「どうしてみなさん定番物ばかり買うんだろう?」と疑問に思っていたけれど、実際に自分が東京駅に行ってみて理解した。物も人も多過ぎてお土産を選ぶのが難しいのだ。

上京して20年以上経つ友達にその話をしたら「分かるよ。私、帰省のお土産はいつも同じ物(東京ばな奈か舟和の芋羊羹)って決めてる。そもそも東京駅は人が多過ぎるから品川から乗ってる」と言っていた。私も次に東京に行くことがあれば品川で降りてみようと思う。

人が多いと思っていたけど

東京駅の人の多さに絶望したものの、実際に自分の足で東京の街を歩いてみると、東京だからってどこもかしこも人で溢れている訳じゃない……ってことに気がついた。東京滞在中は3日間とも2万~3万歩歩いている。公共交通機関も使ったけれど「できる限り自分の足で歩く」ってことを意識していた。

例えば、最終日に立ち寄った上野公園などは人でごった返していたけれど、上野公園から少し外れて神田明神だの湯島聖堂だののある街中などはほとんど人を見かけなかったし、北区の住宅街を歩いていた時も静かなものだった。「大阪の住宅街やオフィス街と変わらないな」と思ったほどだ。

ただし乗換駅の人の多さは大阪の比ではなかった。「改札から人が沸いてくる」って感じでとにかくどの駅も人が多くて驚いた。

中高一貫校の私学が多い

東京は大阪と違って中高一貫の私学が多くて中学受験が盛んだと聞き及んでいたけれど、実際に歩いてみると石を投げれば中高一貫校に当たる……くらいの勢いだった。一時期家族で『二月の勝者-絶対合格の教室-』と言う中学受験漫画にハマっていて、東京に住んでいる訳でもないのに、中学受験について調べてみたりしたけれど、地方民でも知っているような有名校だけでなく、名前を聞いたことのない私学の多いこと多いこと。

名前を聞いたことのない私学……と言っても制服はそこそこお洒落で校舎も公立と比べると圧倒的に綺麗だ。私は下衆い人間なので聞いたことのない学校を見つけるとその場で偏差値をチェックしていた。たいてい「あっ…なるほど、そりゃ知らないはずだわ」くらいの偏差値(偏差値50程度)だったりする。

かつての私なら「その程度の偏差値の私学なら公立で良くないですか?」とか言ってしまっただろうけど、今の私は違う。「君たち小学生の頃に受験塾通って頑張ったの偉かったね」って思うし、そもそも東京で子どもを中高一貫校に通わせるだけの経済力のある世帯の財力すごいね…って思う。お金持ちの家計なのか、それとも両親が身を粉にして働いているのか。

東京の街は公立校を尊ぶ風潮が強い大阪とは違っていた。

空き家や廃屋の比率が低い

大阪の街を歩いていると空き家や廃屋がやたら目につく。「こんな一等地なのに土地を遊ばせておくなんてもったいないな」と感じるような場所にでも、人が住んでいないだろうボロボロの一戸建てが建っている……なんてことはよくある話。

もちろん東京の街を歩いていても空き家や廃屋はあったものの、大阪ほどは目につかなかった。どの街も少しずつなりとも世代交代が進んでいたし、現在進行系で取り壊している現場も多く見られた。

古い家を壊して新しい家を建てたのだろうな~と思わしき住宅が目についたのだけど、それらの住宅は今風でお洒落な佇まいだった。だけど言っちゃあなんだけど、家のクオリティは大阪の方が断然上だ。イマドキのパネル住宅はどれもこれもパッと見はお洒落だけど、部材が明らかに安い。私。元ハウスメーカー勤務の建物好きなので住宅を観るのが大好きなのだ。

これは私の推察なのだけど東京と大阪では土地の値段が違い過ぎる。高い土地に、高いウワモノを建てると新築分譲価格が大変なことになってしまう。だから部材等は究極的に安くして「サラリーマン世帯がどうにか購入できる価格」を実現しているのだと思う。

大手ハウスメーカーとは言わずとも、大阪だと「その辺の工務店」で建てた家でもまあまあ部材はしっかりしている。ちなみに大阪として地価の安い場所の方が家本体は上質であるケースが多い。

お洒落人間が闊歩している

東京の街を歩いて感心したのは、そこここで「お洒落人間」が歩いている……ってこと。

雑誌とか、Web記事でしか見たことのないようなお洒落マダムとか「芸大生なのかな?」と思ってしまうような個性的なファッションの人や「この人は劇団員なのか?」と言うような舞台衣装めいた服装の人が普通に歩いている。

お洒落人間達は繁華街だけでなく「自分ちの最寄り駅」みたいな普通の住宅街にもいて、そこのところは大阪とは違うなぁ~と感心した。確かに大阪にもお洒落人間は存在するけれど、梅田や難波と言った繁華街や映えスポットにしか出没しない。

大阪の街歩きをしていて「うわぁ。この人、素敵~」って思えるような人とすれ違うことは滅多にないけれど、東京の街を歩いていると素敵な人が普通に歩いている。

東京って凄いね。そりゃあ長渕剛が「死にたいくらいに憧れた 花の都 大東京」なんて歌詞を作る訳だと納得した。やっぱり東京はキラキラしてる。

スーパーにも行ってみた

スーパーにも行ってみた。自分が暮らしているテリトリー外のスーパーって、その土地の生活を知ることができて面白い。最近は関西にもロピアだのトライアルだのが進出してきているし、スーパーの地方色は薄れているものの東京には「大阪にはないスーパー」だってある。

「サミット」なんかは最たるもので、大阪では見掛けたことがない。「東京は物価が高い」と言われているけれど、確かにちょっとお高めな印象。だけど声を大にして言わせてもらう。ここのところは日本全体、物価高なので東京だけが特別にお高い訳じゃない。ちょいちょいスーパーや小売店をのぞかせてもらったけれど「大差ないな」と思ってしまった。

立ち寄ることはなかったけれど、どこに住んだとしても高級スーパーもあれば、業務スーパーだの激安スーパーだのがあるだろうから収入別に棲み分けはできているのではないかと推察した。

喫茶店とカフェの狭さ

「大阪と東京の物価はさほど変わらないのでは?」と感じた反面、明らかに違いを感じたところもあった。外食については東京の方が断然高いし、土地が高いことからお店に入った時の席(テーブル)の狭さに驚いた。

友達と食事をした後「もう少し喋りたいから」ってことでコメダ珈琲店に行ったのだけど、大阪のコメダ珈琲店と比べると座席が狭い!それでも友達によると「コメダはゆったりしてる方だよ」とのことだった。

そしてちょっとお洒落っぽいカフェともなれば予約が必要だったり、短時間で追い出されたりするし、そもそもお値段がアホほど高い。気楽にお茶をするのも難しいのだな……と不便さを感じてしまった。東京だから便利だって訳じゃないみたいだ。

喫茶店やカフェ、飲食店の入りやすさだけで言うなら東京以外の都市の方が恵まれていると思う。

手の届く場所にある贅沢な物

東京旅行2日目は川崎駅で待ち合わせをした。川崎は神奈川県だ……って前提はさておき。東京都23区通勤圏の街ってことで、ひと括りにして書いておく。

待ち合わせ時間までは川崎駅直結のラゾーナ川崎ってショッピングモールをぶらぶら歩いて見て周った。日本全国どこにでもある「イオンモール的なヤツ」だ。大阪にも似たような場所がたくさんある。イオン系列だったりヨーカドー系列だったり色々だけど、正直どこも似たり寄ったり。ラゾーナ川崎も「よくあるショッピングモール」って感じだった。

ただ大阪のショッピングモールより規模が大きいこともあって、大阪だと大阪市内の百貨店やお洒落ビルにでも行かなければ入っていないようなブランドショップが沢山入っていた。中高生が自分のテリトリーとして気楽に訪れることのできる場所にお洒落で高価な物を売っている店がある……ってことだ。

東京駅に降り立って、物の多さと人の多さに面食らってしまったけれど、東京には物が溢れているのだな……と、ここでも感じた。だけど、それって人間にとって幸せなことなのかどうかは私には分からない。

昔の日本人…特に田舎に住んでいたであろう日本人の場合、今ほど情報が手に入らなかっただろうから、都会と田舎との格差を感じることもなく「まぁ。こんなものだろう」と自分が置かれた立場や状況を受け止めていたと思う。さらに言うなら自分の手の届く場所に魅力的な物(お洒落な物や流行の物)なんて無かったと思う。

だけど現在は違う。日本中、どこにいても情報は手に入る。そして、それがいつでも手の届く場所にあったとしたら……それはそれで残酷なことのように思う。昔よりも今の方が経済格差を感じやすい構造になっているのかも。

お金をかけずに楽しむ人達

「東京って場所はお金があってこそ楽しいところ」って説がある。お金さえあれば楽しく過ごせる場所があるし、一流のグルメを堪能することができる。一方でお金が無ければそう言った類の贅沢を享受することができない。

私はずっと心のどこかで「東京なんて人が暮らす場所じゃないなぁ」と思っていた。だけど実際に東京の街を歩いてみて慎ましやかに楽しく暮らしている人の姿も沢山見てきた。

例えば飛鳥山公園。子どもが喜びそうな複合遊具があって家族連れが楽しんでいた。飛鳥山公園の中にある資料館だの美術館は公立なので入場料は高くない。そして、公立の施設だけあって、子ども向けのワークショップなども用意されていた。

河川敷に行けば野球だのサッカーだのをして楽しむ小学生がいたし、自転車の前と後ろに子どもを乗せて、スイミングスクールに子どもを送迎する親も見掛けた。公園でデートする恋人達やベビーカーを押して歩く若い夫婦。神社にお参りする老人。そんな場所で楽しんでいる人達は大金を払って楽しんでいる訳じゃない。大阪でも見掛けることのできる光景だった。

格差を感じやすい土地ではあるけれど

東京は日本中にある他の都市以上に格差を感じやすい場所なのかも知れない。物も人も溢れていて、お金を出せば最高の贅沢を享受することができる。だけど、その一方で慎ましく自分なりの幸せを守って生きている人も達もいる。

東京は特別な場所だと思っていたけど、そんなことは無さそうだ……って気付いたのは今回の旅での発見だった。人はどこでも生きていける。もしも私達家族が東京で暮らしていたとしても、きっと今と同じようなスタンスで暮らしていたように思う。

今回の旅は「友達と会ってお喋りする」ことが主目的だったけれど、自分なりの発見が沢山あった。旅は楽しい。誰かと共に行く旅も楽しいけれど、1人旅はそれと違った楽しみがある。次の1人旅がいつになるかは分からないけれど、次は別の場所に行ってみたい。

今回の旅の記録
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日記
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