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あなたが私を忘れても私はあなたを忘れない。

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先日、児童発達支援センターを退園されたお子さんと久しぶり再会した。

再会したのは知的&発達障がいのお子さんで退園後はもっと集団の大きい療育園に入園された。けっこう関わりの深かったお子さんなので少し大きくなった姿が嬉しくて「◯◯ちゃん、こんにちは」と声をかけたところ、元気な声で「こんにちは!」と返事が返ってきた。

元気に挨拶をしたそのお子さんは退園されて1年も経っていないのに私のことを何も覚えていなかった。そのお子さんは長い記憶を保つことが出来ない特性を持っていた。

知的障がいを持つ人の中には「覚える」のが難しい人がいる。例えば…だけど普通の人が当たり前に覚えておけるような「ちょっとした頼まれごと」でも覚えられなかったりするし、幼児期でも自分の名前も覚えられなかったりする例がある。

実際、毎日関わっていて大好きな担任の先生がいたとしても、病気等で1週間お休みして久々に登園した時には「はじめて会う人」としての認識で怯えた表情になったり…みたいなことが起きてしまう。

小説や映画、漫画の世界では「記憶」はドラマティックな小道具として使われることが多い。病気や事故で記憶を失ってしまった…とか、病気で一定期間以上の記憶を保てない…とか。だけどそれって創作の世界なので美男美女の間でしか起こらないし、さらに言うなら「ちょっぴり切ないけれど若い人のほろ甘くキラキラした物語」って感じ。

だけど現実世界において記憶に関する問題を抱えている人は障がい児者だったり、認知症等の高齢者だったりする。綺麗でもなければキラキラもしていない。

再会したお子さんに忘れられていたことは少し寂しさを感じたけれど人見知りが酷かったその子が「はじめまして」の相手に対して元気に挨拶できるようになっていたことに驚いたし嬉しく思った。新しい園で沢山の経験を重ねて成長したのだろうなぁ~と思うと感慨深いものがあった。

関わったお子さんが私のことを忘れても、私はずっとその子のことを忘れられないと思う。私がもっと高齢になって認知症にでもなれば忘れてしまうかも知れないけれど。

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