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風と共にゆとりぬ 朝井リョウ 文藝春秋

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薄々そうじゃないかと思っいてたけど、私は朝井リョウの書く作品とは相性が悪いらしい。

全く受け付けないかと言われるとそうでもなくて面白いと思った作品もあるし「上手いなぁ」と感心したりもするけれど、方向性の違いと言うのかな。

作者の作品と私は相容れない水と油のような関係なのだと思う。

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風と共にゆとりぬ 朝井リョウ

ザックリとこんな感じの作品
  • 『時をかけるゆとり』に続く2作目のエッセイ
  • 「別冊文藝春秋」「日本経済新聞 プロムナード」掲載した物+書き下ろし
  • 作者の視点で見たリア充的楽しい毎日

感想

いったい何が駄目なのか?

理由はハッキリ分かっている。朝井リョウはリア充で私は非リア充だから、どこまで行っても平行線で絶対に交わる事がないのだ。

この作品はエッセイ集。たぶんリア充の人には笑えるのだと思う。

そこそこに面白いエピソードが満載だし、サクサク読める読みやすい文章でエッセイとしは良いものだと思う。だけど私には合わなかった。リア充を否定する気はまったくないし、たとえリア充路線でも面白い物は面白いと思う。

なんと言って説明したら良いのだろうか?

そう。とにかく鼻につくのだ。「俺、要領悪くてイケてない人間なんです」って言うアピール。

非リア充ならこんな風に思うだろう。「いやいや、あなた間違いなくリア充枠ですから。こっち側の人間アピってくるの、辞めてもらえます?」と。

小説家ってリア充よりも、非リア充の方が圧倒的に多い気がする。

どこかネジが飛んでいたり、そもそも人間としてアウトだったり。は生み出した作品が素晴らしければ作家がオカシナ人であったとしても全く問題は無い。

しかし、だからこそリア充の世界をリアルに描ける作家さんは貴重だと思う。それなのに「俺、駄目人間なんですよね~」とアピールしてくるからウザいのだ。

リア充でもいいじゃないか。堂々とリア充っぷりをアピールして欲しい。

私にはこの作品。「要領の良い若者が書いたそこそこおもしろい小噺」としか思えなかった。

たぶん作者と同世代だったり、世代は違えどリア充だったりする人なら面白く読めると思う。でもなんだろうなぁ…私には良くも悪くも普通過ぎて面白いとは思えなかったのだ。

今後、作者のエッセイは読まないことにする。

読むなら小説に限る。私の知らないリア充の世界をリアルに描いた小説に的を絞って読もうと思う。

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