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義母の育てた柿。

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今年は例年になく柿を食べていない。

我が家は毎年大量に柿が手に入っていたのだけれど、今年はそれが無くなってしまったからだ。

和歌山県で柿農家をしていた義祖母は無くなってしまったし、夫の実家にあった柿の木も義母が世話ができなくなってしまった事を理由に切り倒してしまった。

毎年、秋になると義祖母の柿と義母の柿が集結して、ご近所に配り歩いていた。

もちろん我が家でも食べていたけれど、家族3人で食べる量など知れたもので、うっかりしていたら熟し過ぎて普通では食べられない状態に。

熟し過ぎてしまった柿はジャムにしたり、パウンドケーキに混ぜて焼いたりしてどうにかこうにか消費していた。

柿って糖度が高いので美味しいけれど蜜柑のように沢山食べたい物ではない。

毎年、柿の処遇に悩まされていて「ありがたいけど、困るよなぁ…」と思っていたのに、いざ無くなってしまうと寂しさを感じるのだから勝手なものだ。

柿とか無花果と言った糖度の高い果物って好きな人って熱狂的に好きだし、そうでない人は「1個食べたらもういいや」くらいの感覚の人が多い気がする。

昨年まで毎年持て余していた柿は私が子どもの頃にお世話になった「柿が熱狂的に好きな人」のところへ届けていた。年に1回、柿を届ける時にしか会わない間柄なので、柿を届けると言う口実がないと、会う機会が無いことに気がついた。

もちろん、柿を持たずに会いに行ったって歓迎してくれるとは思うのだけど、何か用事でもないと日々の生活に逃されてしまって行き難い…ってのが本音だ。

それに2度と柿のパウンドケーキを作る事はないのかと思うと、それも寂しい。

柿が食べたければ買ってきて食べる事が出来るけれど、パウンドケーキを作るために買ってきた柿を放置して熟させる……なんて事は流石にしないもの。

お砂糖を入れなくても甘い柿のケーキは珈琲にも紅茶にもあって、今の季節に丁度良いオヤツだった。

「人は失ってみて初めてありがたさに気づく」と言われるけれど、今年は大量に戴いていた柿のありがたさを感じている。

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日記
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