読書は、地味で控えめな趣味だと思われがちだが、ある意味ギャンブルめいていてハイリスク・ハイリターンな側面を持っていると思う。
たとえばCDなら視聴してから「あっ。この人の曲って自分好み」と買うことができる。しかし読書の場合は、パラパラと立ち読みしたからって、自分の好みに合うかどうかなんて分からない。
映画や舞台なら、それが面白くなかったとしても2~3時間で観終えることができるが、読書の場合はそうはいかない。
エッセイや軽い読み物でなければ1冊読み終えるのに、けっこうな時間が費やされてしまうのだ。しかも好みから外れれば、外れるほど読書のペースは下降する。
そしてスポーツや「何かを作る」という趣味の場合は、たとえ、その瞬間に楽しむことが出来なくても「鍛えた身体」だとか「作った作品」などが残っていく。
しかし読書の場合、その時楽しめなかっが最後、まずもって頭に作品は残らない。
読書は他の趣味から較べると比較的リーズナブルな趣味だと言えるが「リターン率」の低い趣味だとも言える。
時間をかけて丁寧に読了したものの、まったく心に響かなかった時の虚しさと言ったら。そりゃぁもう、なんとも言い難いものがある。
今回の作品が、まったくもってその典型だった。
惜春
謎を秘めた美女を巡る男たちの狂おしくも切ない恋を描き、漱石以来の小説の醍醐味をいまに甦らせた愛の二都物語!始まりは新緑鮮やかな京都東福寺の通天橋。
終わりは紅葉が燃える京都永観堂の臥龍廊。舞台は明治からの歴史に彩られた東京の街。識者絶賛の『佐保神の別れ』に続く書き下ろし長篇小説第2弾。
アマゾンより引用
感想
面白いとも感じなければ「大嫌い」と感じることもなかった。しかも時間をかけて読んだのでガッカリ度はかなり高い。
途中で投げようかと思いつつ「地味な作品ってのは最後まで読んでみないと面白さが分からないこともあるし」と信じて読みすすめたが、まったくもって駄目だった。
登場人物の感覚が古臭くて眩暈がしそうだった。
設定が「昔」なら、それも構わないのだけれど、一応現代が舞台なのに、考え方から言葉遣いまで古風過ぎてついていけなかった。
作者、井上明久のプロフィールを読むと、井上明久はかなりお年を召されてから、この作品を書いたらしくて、なんとなく納得してしまった。
年配者に若い人の描写が出来ないとは言わないが、若い感覚の持ち主でなければムツカシイだろうと思う。それならそれで時代設定を変えて書けばいいのに。
毎度のことだが、聞き覚えのない作家さんの作品に挑戦して失敗すると「これからは名の知れた作家さんの作品とか、ある程度評判の知れた作品だけを読もう」と思ったりする。
勿論、それを実行したからと言ってコンスタントに「当たり」に遭遇するかと言うと、そうでもないので、本選びのスタンスは変らないのだけれど。
3ヶ月もすれば読んだ事さえ忘れてしまいそうな作品なので、読書禄に書こうかどうしようか随分迷ったのだけれど、備忘録として残しておこうと思う。
東福寺と永観堂が素晴らしい場所だ…って事を再確認しただけの作品だった。
読んだ本の全てを読書禄に残している訳ではないのに、面白くなくても「書いておこう」と思う本と、そうでない本があるのだから不思議である。
あまりにも波長が合わなさ過ぎるので、井上明久の作品はたぶんこれが最後になると思う。