先日、お隣の奥さんが赤色が鮮やかで素敵なTシャツを着ていたので「それ、素敵! すっごくお洒落だね」と言ったら「こんなオバサンが着るのは恥ずかしいんだけど」とTシャツを買った経緯を話してくれた。
そのTシャツは以前大好きだった俳優が着ていた物とのこと。
お店で全く同じ物が売っていると聞いて、わざわざ買いに行ったのだかと。普段買っているユニクロ等のTシャツからすると、すごく贅沢な物だったらしいのだけど、それこそ清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ったらしい。
大好きだった俳優への情熱が醒めてしまった今でも、Tシャツはヨレヨレになることもなく活躍しているとのこと。「自分の年で着るには若過ぎるデザインなのは分かっているけれど、実はけっこう気に入っちゃってて……」と話をしてくれた。
そんな流れから「40代のオバサンのファッション」について少し話をした。
「最近、何を着たらいいのか分からなくなってきた」とお隣の奥さん。実際、私も自分自身の見た目の劣化を感じつつ「好きだった服が似合わなくなってきた」と言う事態に直面している。
若かった頃、自分より年上の女性の服装を見て「あの人、どうしてあんな若作りしてるんだろ? もっと歳相応の服を着れば良いのに」なんて事を思っていた。だけど自分がその立場になった今なら、当時私が「若作りしている」と思っていた人達の気持ちがよく分かる。
私はお隣の奥さんに「年取ると似合わない服って出てくるよね。でも、私。もうこれからはそんなの気にしないことにした。もっと年とって、親の介護が大変になったり、自分が病気になってお洒落が出来なくなるかも知れないから、周りにどう思われても好きな服を着ることにした」と話をすると「あ。それ分かる!」と同意してくれた。
家族からクレームが出たり、TPOをわきまえないスタイルをするのは駄目だけど「似合わない」とか「年甲斐もない」と他人から思われたところで、痛くも痒くもない。他人が私を幸せにしてくれる訳じゃないのだもの。
お隣の奥さんも「実は私も最近、いつ死ぬか分からないなら好きなことして生きようかな…って思うようになったんだよね」なんて話をしてくれれた。
似合う服より好きな服。自分の好きな服を着るくらい可愛いものだ。と言っても経済的に限界があるので、せいぜい「新しい服を買うなら、とにかく自分の好きなの服を買う」くらいの事しか出来ないのだけど。
私はお隣の奥さんと「今後お互い突拍子もない服着ていたとしても、お互いにそっとしていようね。温かく見守っていようね」と、大正時代の女学生のように誓い合ったのだった。
「似合う服より好きな服」と言う考え方はお洒落的な観点からすると間違っていると思う。だけど間違ってたっていいじゃないの……なんて思ってしまうあたり、私もオバサンになったって事なのだと思う。