年賀状の枚数が激減した。
年賀状じまい云々を抜きにしても年長者が次々といなくなっている。親戚だったり、お世話になった先生だったり。さみしいけれど年の順で亡くなっていくのは仕方が無い。
1月1日には知らない老人施設から電話があった。夫側の遠い親戚が入っていた施設らしく「◯◯様はすでに退去されています」とのこと。個人情報のか観点からすると本来は連絡すべきではないところだけど、写真入りの年賀状だったし無下にもできない…と連絡してくれたとのことだった。
親戚と言っても縁の薄い人で、それこそ「年賀状だけの付き合い」ではあったのだけど、年賀状を楽しみにしてくださっていて「自分は年賀状を出さないけれど、年賀状ありがとうね」と電話が掛かってくるので毎年欠かさず出していた。どういう事情かは察することが出来たので、施設の人にお礼を言って電話を切った。
今年、驚いたのは同世代の友人(知人)数名から「今年で年賀状を終わりにします」と書かれた年賀状を貰ったこと。全員漏れなく50代。年賀状じまいと言うと、高齢者の終活の一貫かと思っていたので、50代で年賀状を出さなくなる…と言うのは想定外だった。
年賀状を辞める人の話を聞くと「年賀状を出さなくてもLINEで繋がっているから」とのこと。分からなくもないけれど「LINEで繋がっていない人もいるんじゃないの?」と思ったりもする。もっとも「LINEで繋がっていない程度の付き合いはいらない」と言えば、そうなのかも知れない。
私も夫も今のところ年賀状を辞めようとは思っていない。
年賀状はお世話になった人だったり、そうそう会えない友人だったりに「おかげさまで元気に生きてます」と言う生存報告だと考えている。電話とかLINEって何か特別な用事がないとなかなか億劫だけど、年賀状の場合は無条件に生存報告ができるのが良い。
年賀状を面倒に思わないのは裏も表もネット印刷だから…ってこともあると思う。我が家はもう家にプリンターさえなくて、印刷が必要ならコンビニプリントで出しているし、年賀状は毎年業者に頼んでいる。宛名印刷も無料でやってくれるので、住所録さえ管理しておけば大した手間は取らないのだ。
かつては「子どもの写真入年賀状を送りつけるのはどうなの?」みたいな議論があったけれど、年賀状を生存報告と位置づけるのであれば、子が巣立った後も老いていく自分の写真入年賀状を送り続けるのもアリなのかも知れない。
年賀状文化が廃れてしまうのを寂しいと思ってしまうのは、私が高齢者の枠に入っているからなのかも。娘の世代になると、そもそも年賀状を送らないのがスタンダードになっている節がある。
昭和の特級遺物として、まだしばらくは年賀状を送り続けようと思う。