最近の私。「本来の自分を取り戻しつつある」って手応えがある。
結婚、出産を経て私は本来の自分を抑えていた。正しくは「結婚」ではなくて「出産」かな。娘を出産するまでは結婚したと言って夫婦で楽しく好き勝手に暮らしていた。
ところが娘を生んでからは生活が一変。私の時間の多くは娘に捧げられることになった。もちろん滅私奉公したつもりはない。読書はずっと続けいてるし、予定が合えば友人とも会っていたし、たまにコンサートや舞台を観に行ったりもしていたけれど、自分主体で思い切り何かに夢中になっていた分けではない。
根本的には娘ファースト。娘がアウトドア派となれば私は好きでもないアウトドアに連れ出し、体操にハマれば体育会系の子の親として生活した。娘の高校受験期は受験生の親として娘のサポートに勤しんだりもした。娘主体で動くことで、知らない世界での経験を通して「私も成長したな」と感じるところは多いものの、正直それって本来の私が好きな世界じゃなかった。
今年は宝塚110周年の『ベルサイユのばら』を観たいと唐突に思い立ち、宝塚のチケットをゲット。その勢いと共に続けて宝塚の別の公演を観に行ったりもした。勢いで観た『記憶にございません!!』など、公演の当日の朝までチケットを持っておらず、ツイッターで「台風で同伴者が行けなくなってしまった方」とやり取りして、チケットを譲って戴く…などと言う荒業を使った。どこの馬の骨とも分からない人間に定価でチケットを譲ってくれて隣で観劇してくださった方には感謝しかない。
そして例年になく美術館にも足を運んでいる。『モネ』も『広重』も『印象派展』も素晴らしかった。秋はウスター美術館展に行く予定でチケットも購入済だ。
実現するかどうかはさておき「私も勉強したい」と言う情熱だけで通信制大学の説明会に行ったりもした。
ちょっと忘れていたんだけど、私は本来、舞台を観たり、美術館に行ったりするのが好きな人間だったのだ。本を読むの好きを通り越して「ご飯食べる」「歯を磨く」レベルで私の生活に落とし込まれているけれど、それ以外にも好きなことは一杯あったのだ。
私が本来の自分を取り戻せるようになったのは金銭的な問題もあるけれど、それ以上に「娘に手が掛からなくなった」ってところが大きい。高2年生になった娘は大抵のことは自分でできるし親の付き添いを必要としない。家族で行動するより友達と…あるいは1人で行動することを好むようになった。
私と同世代の親御さんの中には「子どもが親離れしてさみしい」とおっしゃる方もおられるけれど、私は心底嬉しく思っている。娘のことは愛しているけど娘と行動することが減ったおかげで、私は本来の自分を取り戻しつつある。なんだか嬉しくて仕方がない。
いつか読んだ小説の中に「子は親のすべて…時間やエネルギーなどを喰らいつくして成長していく」みたいな一説が書かれていたけれどホントそれ。「母親(父親)だって私らしくいたい」とか「ママだって輝きたい」と言われる世の中だけど、子育て激熱期に親が好きなことをするのは難しい。
ようやく私にも再び「私のターン」が巡ってきたみたいで嬉しい。
娘は娘で楽しく過ごせるようになったことだし、これからは私もどんどん自分1人で…あるいは夫や友人と楽しい時間を過ごしていきたい。