私は春めいてくると、決まって『ユタとふしぎな仲間たち』が読みたくなる。
なにしろ書き出しからして、春っぽい。
いなかの春風のなかには眠り薬がまじっている。眠い。じつに眠い。眠くてたまらない。
「眠い春」を感じるたびに、この作品を思い出してしまうのは、もはや、どうしようもない……と言う感じなのだ。
劇団四季で舞台化されているので、それなりに知っている方も多いかもしれないこの作品は、男子小学生の成長物語だ。
ユタとふしぎな仲間たち
舞台は東北、湯の花村。
少年と共に過ごすのは、東北地方に住む妖怪「ざしきわらし」である。新潮文庫にも収録されているが、どちらかというと児童文学色が濃い。
私は、大人になってからこの作品を読んだのだが、子供の頃に読んでいたら、またち違った感想を持っていたのかも知れないなぁ……と思う。
「ユタ」という小学生男子が主人公なのだが、彼の仲間となる「ざしきわらし」達が、かなりいい味を出していて、彼らの物語だと言っても過言ではないと思う。
この作品で「ざしきわらし」は、間引きされて大人になれなかった赤ちゃん達が変化した存在である。だいたいからして、その生い立ちが切ない。
そして、いつまでたっても成長できないという彼らの宿命が、また切ない。
しかし「ざしきわらし」は、自分達の宿命をそれなりに受け止めて、日々をそれなりに過ごしているという姿が、たまらなく良い。
ざしきわらし達の中で、私がいっとう思い入れを持って読んだのはペドロという名の「ざしきわらし」だ。
間引きされた直後、沼に捨てられた経緯を持つ彼は、主人公の同級生である小学生女子に恋心を抱くのだけど、その辺の心情がたまらないのだ。
大人の恋愛と子供特有の「初恋の想ひ出」を足して2で割ったような、なんともいいがたい設定で、今になって読んでみても「お姉ちゃん、泣けてくらぁ」ってな勢いなのだ。
しかし、この小説は恋愛物ではなくて、主軸は主人公であるユタ少年が成長してく姿にある。こんな風にして、男の子は大きくなっていくのかなぁ……などと、ぼそぼそ思ったりしたものだ。定番中の定番なのだが「いっぱい遊んで大きくなる」というような子供時代を持つ人は、幸せだよなぁ……と思う。そしてユタ少年の成長っぷりが鮮やかであれば、あるほど永遠の子供である「ざしきわらし」達の運命に涙してしまうのだ。
私はユタ少年と、不思議な仲間達が大好きだ。
その物語がたとえ一瞬の煌きであったとしても、輝いていた事実に変わりはないのだと……その気持ち、その瞬間は、かけがいのない物だったのだと思わずにはいられないのだ。
だからこそ、春になると、私は毎年、彼らのこと思い出してしまうのだろう。
愛さずにはいられない…そんな1冊である。