京都アニメーションを放火した犯人がお世話になった病院のスタッフに「お世話になりありがとうございました」「人からこんなに優しくしてもらったことは、今までなかった」と言ったと報道された件。
やるせない気持ちで一杯になってしまった。
もしかしたら彼はもっと早く、誰かから優しくされていたら、こんな事件を起こさなかったのでは?
……って事は、私だけでなく多くの人が感じたと思う。
少し前に映画『ジョーカー』を観た時も私はまったく同じことを感じた。
もし主人公のアーサーが誰かから愛されたり、大切にされていたら、あんな犯罪を犯さなかったかも知れない…と。
もちろん、どんな事情があったとしても、それは犯罪を犯しても良い理由にはならない。
私は犯罪者には罰を受けて欲しいと思っているし、終身刑がない日本では凶悪な犯罪者は死刑にするしかないと考えている。
だけど日本から犯罪を減らしてこうとするならばり本質的なところも考えていく必要がある。
罰を重くしてみたところで凶悪犯罪は無くならないだろう。
状況が変わらないのであれば、似たような犯罪は繰り返されると思うのだ。
山口連続殺人放火事件の時は犯人、保見光成被告(死刑確定)は親の介護で帰郷するも、村八分にあったことを恨んで殺人を犯したと言われている。
真実は闇の中だし、あれだけの人を殺しているのだから保見光成が死刑になるのは当然としても「もし保見光成が何らかの支援を受ける事が出来てたら事件は起こったかな?」とも思ってしまう。
社会的弱者…と言うと、貧困や病気、障害にばかり目がいってしまいがちだけども「社会から孤立してしまった人」も社会的弱者として考えていく必要がある気がしてならない。
誰かから愛されたり大切にされた経験のない人に「人を大切にしましょう」と言ったところで通じない。
綺麗事でどうにかなるような問題ではないけれど、社会から孤立する人への支援については今後の大きな課題ではないかな…と思う。