10歳の子が虐待死した事件。亡くなった子が不憫でたまらない。
巷では「児童相談所の怠慢」「学校は何をしていたんだ」と言う声が大きいけれど、1番悪いはの虐待していた親だと言う事を忘れてはならない。
私は専門家でも何でもないけれど、個人的には児童相談所の体制云々よりも法改正が先だと思っている。現行の法律だと親権が強過ぎて現場ではどうにも出来ない事が多過ぎるのだ。
かつて。知人の働いている児童養護施設でも似たような事が起こった事がある。
虐待で保護された子を親が親権を盾にして、子どもの返還を要求。日本では親権が何よりも強いので、たとえそれが口先だけでも「反省しました」「もうしません」と言われてしまうと、子どもを親元に返さなければならない。
残念ながら親元に帰された子どもは虐待により死亡。知人は裁判所に呼ばれて「どうして親元に帰したのか」「不審な点は無かったのか」「疑問に思わなかったのか」等を詰問された。
「そんな…無理言うなよ」って話だ。
今回の事件でも児童相談所や学校の対応が良かったとは言えないけれど、働いている職員達の間に「親権を盾に取られたらどうようもない」「争っても勝てっこない」と言う諦めのような物はあったと思う。実際、訴えられたら勝てやしないのだもの。
いくらが虐待に関するガイドラインを作って「一時的措置とし親を子どもから引き離して良い」となっていたとしても、一時しのぎにしかならないのだ。
- 子どもを保護したその後はどうするの?
- 親が「反省しました。もうしません」って言ってきたら?
現行のガバガバ過ぎる日本の法律では子どもを救うことは出来ない。親から親権を取り上げてしまわない限り、残念ながらそういう親の子は遅かけれ早かれ同じ結末に至ると思う。
日本法律は強者に優し過ぎる。加害者に優しく、大人に優しい。
日本は島国で閉鎖的傾向があり、コミュニティ内で起こった犯罪に対して甘過ぎるのも問題だと思う。
- 学校で起こった暴力傷事件→いじめ
- 家庭で起こった暴力事件→虐待
どちらも単なる暴力事件なのに、どうして特別な呼び方を作ってしまうのか?
街中を歩いていて行きずりの人を殴って怪我をさせたら警察に連れて行かれるはずなのに、犯罪の起こった場所が学校内や家庭内なら「いじめ」」だの「虐待」だのと言った特別な言葉に置き換えられてしまうのは何故なのか?
「弱者優しい法律を作ってください」とは言わないけれど、せめて起こった事件に対して平等に裁かれる法体制は必要だと思う。
いじめにしても、虐待にしても根本的なところを変えないと改善するのは難しいと思う。
- 公的機関による親権の剥奪
- 学校や家庭内で起こった暴力事件への徹底的な法的介入
上の2つを願っているのは私だけではないだろう。
どちらも人手とお金のかかる事ではあるけれど、少子高齢化が加速している今だからこそ「子どもを大切に育てる社会」を作っていく事がは必要だと思う。
今の現役世代が耄碌したら誰が日本を支えていくの?
いっそ国民総混血化事業でも展開して外国人じゃんじゃん入れていっちゃう感じ?
子どもを守るための法律改正が進んでいくことを心から願う。