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伴走者としての専業主婦。

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先日、Twitter(X)で「専業主婦の母を尊敬できない」という呟きが議論になっていた。

私は今でこそ働く主婦だけど専業主婦だった時期がある。そして今は子育てが一段落して、完全な自由……とまではいかないものの、家事育児の負担が楽になっている身の上。専業主婦については色々と思うところがある。

Twitterの呟きは「専業主婦の母」とあったので、専業主婦と言っても「子どもがいる家庭の主婦」の想定で考える。

子育てしつつ専業主婦は「家にいられて楽ちん」「社会に出て働くストレスが無くて楽ちん」って見方をされがちだけど、それについては一理あると感じている。その反面、子育てしつつ専業主婦として生きるってことは「自分の人生を自分軸で生きられない」ってことを意味する。それって実のところ、かなりキツイしストレス半端ない。

専業主婦として生きるってことは誰かの伴走者として生きるってことだ。

例えば。子育て中の専業主婦が特に「しんどい」と感じるのは子の乳幼児期だと思う。24時間子どものペースで生きなければならない。授乳期の過酷さは今さら説明するまでもないけれど、自分のやりたいこと、食べたいもの、動きたい時間などは横において、とにかく子どもの成長をサポートする。衣食住もそうだし教育に関わることもそうだ。そして専業主婦は何なら夫や老親の伴走者にもなる。

もちろん誰かの伴走者として生きることにも喜びはある。伴走者として走り続けなければ見えない景色があり、そこでしか得られない経験値もある。だけどそれは自分軸で行われた活動ではない。

私は娘が大学生になってからというもの「生活が楽になった」と実感している。食事の支度をする回数が減ったし、お弁当も作らない。学校行事に振り回されることもない。それに加えて夫が出張だったりすると、生活の負担はさらに減る。

昨今は「家電が進化しているから専業主婦は楽なはず」と言う人がいる。

独身者の中には「今は昔と違って家電製品が進化しているのだから専業主婦の負担は少ない。自分は完璧にやれている」と言ったとしても私は「それはあなたが自分軸で生活しているからですよ」と反論する。そして単純に世帯で暮らす人間の人数と家事負担量は比例するのだ。1人暮らしの人間はしょせん自分自身の生命活動を維持しているだけでしかない。

我が家は核家族の1人っ子。それでも夫と娘の伴走者として走るのは負担があったと感じている。子どもが複数いたり、それに加えて高齢者がいる家族の専業主婦ともなると、その負担はもっともっと大きいだろう。偉い……偉過ぎる。私にはとてもできない。

今の日本で専業主婦という立場をゼロにするのは不可能だと思う。

衣食住、子育て、介護を全て外注できるような社会システムが確立されたのなら可能だとは思うのだけど、それらの業界は全て働き手が足りないのだもの。専業主婦(専業主夫)がいなければ社会が回っていかないだろう。

人間を「生き物」として考えるのであれば、その究極的な使命は種の保存と繁栄ってことになるけど、それを遂行するにあたり、今の日本から専業主婦を駆逐したら種の保存と繁栄はありえない。

伴走者としての専業主婦はつまらないポジションかも知れないけれど必要不可欠な存在。専業主婦といってもピンキリだと思うので素晴らしい専業主婦もいれば、そうでない専業主婦もいると思う。それは外に出て働く人間にしても同じこと。

「専業主婦だから尊敬できない」ってのは違うんじゃないかな……と私は思う。

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