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私の中の戦闘民族。

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この夏は公私ともにムカつくことが立て続けに起こった。

心の中では「ハァ?何言ってるの?フザケてるんじゃないよ。ちょっとじっくり話しようか?」と拳を固めてファイテングポーズを取っていたけど、いい年した大人なので大人の対応をさせて戴いた。

……とは言うものの。それはあくまでも私が世間体等を気にするから大人の対応をしただけであって、暴れるだけの準備と覚悟は出来ていた。そして戦って気持ちの良い勝利を手にすることはできなかったとしても、負ける気はしなかった。

「諦めたらそこで試合終了ですよ」って名言があるけれどホントそれ。「勝つまで(納得いくまで)戦う」くらいの気概は持っていた。

何事に対しても穏健に済ませたいタイプの夫や娘に言わせると「どうしてそういう思考になるのか?」と意味が分からないそうなのだけど、私からしたら「どうしてそれで納得できるのか?」と戦わないことが謎過ぎる。

たぶん…これは持って生まれた性格だと思うのだけど、私はわさわざ戦いに赴くタイプではないものの自分に対して攻撃してくる相手には徹底的に反抗する。昭和的な教育で言うところの「やられたらやり返せ」な気持ちを持っている。

先日も「人を殴る経験をしないってどうなんだろうな?」みたいなことを書いたけれど「いやいや。もしかして私の考え方の方がイカレているのかも知れないな」てことを思ったりもする。

もしかしたら…世の中の人の多くは理不尽なことがあったり、攻撃的な態度を取られたり、嫌なことをされたりしても「まぁ。いいか」と思えてしまうんだろうか?

だけど「戦わない」って人の言い分も理解できなくはない。だって戦うのって単純に疲れるよね。その労力は無駄…言えば無駄なことだ。気持ちを抑えて丸く収まるならその方が効率的ではある。

そう言えば娘に『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』の感想を話していて「母はしのぶさんの戦いの場面にグッときた。彼女が「もう少し背が高ければ」と悔しい思いをしているところにめちゃくちゃ共感した」と話したところ、娘からは「私もお母さんと同じく背が低いけど私はお母さんみたいな戦闘民族じゃないので、そこについては全く共感出来なかったよ」と言われてしまった。

そうだった…娘は穏健派で戦わないタイプの人間だった。

もちろん、私とて毎度戦っている訳ではない(実際、この夏の出来事については極めて大人な対応をしている)けれど戦わない時は「私は一生覚えてるからな。次、何かあったら倍にして返すからな」と心の中の恨み帳に記載している。

そんな訳で心の中に戦闘民族を飼っている私は中島みゆきの『ファイト!』を聞くと自動的に泣いてしまう。

たぶん…だけど私はずっと心の中に戦闘民族を飼っている気がする。そして死ぬまで何かと戦っているように思う。

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日記
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