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才能の有無による扱われ方の違い。

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アニメ映画『リズと青い鳥』を観て、娘が体操をガチっていた頃のエピソードを思い出してしまった。

娘が小学生の頃。小学校内に新しい体操教室ができた。自宅にポスティングされていたチラシには「きみもバク転しよう」みたいなことが書いてあり、娘は「バク転できたらカッコイイかも」みたいな気持ちから教室に通いはじめ、あれよあれよと言う間に娘は体操にのめり込んでいった。

娘の成長は著しく体操教室のエース的存在になり小さな大会にも声が掛かるようになった。本格的に体操を続けるとなると本部校の選手コースに入る必要があったのだけど、娘は選手コースに入ることができなかった。

残酷な話だけど娘は体操をスタートするのが遅過ぎたのだ。特に女子の場合、3~4歳で体操をはじめた子にしか選手コースに入ることができない。だけど、新設された体操教室では娘のように「小学生の習い事」としてスタートする子が多くて「体操大好きだけど体操を諦めざるを得ない子」が続出した。地域の中学校に体操部はなかった。

娘と同じく体操習っていて、仲良くしていた女の子(Aちゃんとする)は3歳の弟と一緒に通っていた。彼女は体操が大好きで娘と同じくグイグイ成長し「ずっと体操を続けたい」と願っていた。一方、3歳の弟はやる気のなさそうな顔で「大好きなお姉ちゃんがやってるから、僕もやる」みたいな理由で体操に向き合っていた。

体操教室では保護者同志、奇跡的に仲が良く、Aちゃんの母からこんな打ち明け話を聞いた。「Aを選手コースに入れてくれる…って話がきたのよ。だけど、それには条件があって弟も一緒だったら引き受ける…と。Aだけなら引き受けてくれないみたい」

要するに体操教室では3歳の弟に対して「才能あり」の判定をしたのだった。

しかし弟は体操に対して真摯ではない。一方、姉に体操に対する情熱があって真面目に努力するタイプだけど可能性はないから選手コースで受け入れることはできない。だけど、どうしても弟を育てたいから抱き合わせで良ければ引受ますよ…ってことだ。

Aちゃんの母の心中は複雑だったと思う。体操が大好きな姉は求められておらず、体操をやる気がない弟が求められている。「抱き合わせなら引き受けてもいいよ」だなんて失礼この上ない話だけど、娘に思い切り体操をさせるために、Aちゃんの母は本部校への移籍を決めた。

才能の有無によって周囲からの扱いが変わるのは残酷な話だけど「それが実力だから仕方ないじゃない」と言ってしまえばそれまでだけど、この話には続きがある。

本部校に移っていいったAちゃんだったけれど「抱き合わせ商品」としての扱いしか受けられず、Aちゃんは体操部のある私立中学に進学して体操教室を辞めた。

一方、周囲から期待されて選手コースに移籍した弟は…と言うと、周囲の期待とは裏腹に芽がでなかった。素質ゆえに「そこそこできる」くらいには伸びるのだけど、人間ってのは好きじゃないことは努力できないのだ。弟は「お姉ちゃんと体操教室通うのが楽しいから」って理由で習っていたのであって、姉のような情熱はなかったのだ。結局、弟も体操教室を辞めた。

才能が物を言う世界でプロ…とまではいかないまでも「高みを目指す」ことの厳しさを思わずにはいられない。そこには青田買い的な大人の思惑があったり、現実として「才能の無い子は伸びない」って部分もある。

体操だけに当てはまる話ではなくて他のスポーツも芸術系の習い事も才能がある人は大事にされるけど、そうじゃない人はそれなりの扱いを受けることになる。

「誰もがみな平等に扱われる」って本当に難しい。

娘は自分で体操を辞める決断をしたけれど「もし可能性があったら続けたかった。でも無理なのも分かってた」と今でも言っている。世界は残酷にできているけれど、その残酷な世界を強く生きていかなきゃならない。

なおAちゃんは中学でも頑張って体操を続けているし、Aちゃんの弟は体操教室を辞めて別のところに行ったけれど、それはそれで楽しくやっているとこのと。

「諦めなければ夢は叶う」と言うけれど夢なんて叶わないことの方が多い。娘だけでなく子ども達には夢が叶わなかったとしても挫けず生きていく強さを身に付けて欲しいと願わずにはいられない。

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