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フランシスコ・ザビエルと日本人

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先日、NHKの歴史秘話ヒストリアと言う番組で『ザビエル 戦国を行く~知られざるニッポン 3万キロの旅~』と言うフランシスコ・ザビエルの生涯を紹介した番組が放送されていた。

フランシスコ・ザビエルと言えば歴史の教科書で頭頂部を剃ったスタイルで祈りを捧げている姿がお馴染みの宣教師。フランシスコ・ザビエルについては「日本にキリスト教を伝えた人」って事だけしか知らない人が多いと思うのだけど、私もその1人だ。

歴史秘話ヒストリアは結構好きで毎回観るとまではいかないけれど、たまに観ている。フランシスコ・ザビエルの回は観るつもりはなかったのだけど、帰宅した夫が食事の時に外に見る物がなくて、なんとなくつけていた。

フランシスコ・ザビエルはキリスト教の宣教師として日本にやって来た訳だけど、行動力とコミュニケーション能力の高さに驚かされる。

現代人が海外旅行に行くのとは訳が違うのだ。あのガッツはなんだろう? 宗教パワーなのか、それとも彼自身が持って生まれた資質によるものなのか。

私は日本人とキリスト教と言うと遠藤周作の『沈黙』をはじめとする作品を連想するのだけれど、遠藤周作の作品の中でも「日本に来て変質したキリスト教」と言う事が描かれている。

実際、フランシスコ・ザビエルもキリスト教の「神」の事を「大日如来」、マリアは「マリア観音」と訳して伝えていたとのこと。当時の日本人にとってザビエルの伝えたキリスト教は、仏教の一派的な扱いだったのだろうか?

遠藤周作の書く「日本で変質したキリスト教」について番組を観てなんとなく理解出来た気がした。

フランシスコ・ザビエルが日本人の事を絶賛している文章が残されていると言うのは日本人として嬉しく思った。なんで行く先々で初見の日本人に助けられたのだとか。

行き倒れ寸前で食べ物を分けてもらったり、野宿していたら家で休ませてもらったり。たぶん「お坊さんだし助けなきゃ」って意味もあったのではないかと思うのだけど、見るからに自分達とは違う知らない人を助けた人達の善意って凄いと思う。「もしも自分がその立場だったら……」と思うと、到底そんな事は出来ない気がする。

私は「善意」に憧れながらも実践出来ていないのだ。時として「善意っぽい事」はするけれど、突き詰めて言うと「自分の気持ちを満足させるための行為」であって、純粋な善意とは違う気がする。そう思うと当時ザビエルを助けた日本人が人としてどれだけ素晴らしいのかを実感させられる。私もかくありたいと思う。

NHKのまわし者では無いけれど再放送があるようです。気になる方は是非。

『ザビエル 戦国を行く~知られざるニッポン 3万キロの旅~』
再放送 平成27年 4月 8日(水) 14:05~14:48 総合
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日記
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