神戸市の教師いじめの問題。何から何まで呆れ果ててしまう。
加害者教師のやった事もそうだし、神戸市教育委員会の対応も謎過ぎる。ネットでも散々叩かれているけど「給食でカレーの提供を中止します」とか、もう神戸市教育委員会は全力で笑いを取りに来ているとしか思えない。
いじめの問題が表面化した時に思うのだど、日本はそろそろ「いじめ」と言う都合の良い言葉から卒業する時期にあると思う。
「いじめ」と言うと「まあまあ。いいじゃないですか」と許してもらえるように勘違いしている風潮があるけれど「暴行」「傷害」「恫喝」と言えば完全に犯罪。
いじめだと犯罪として扱われないのが不思議でならない。
教師間のいじめではなく、教師間の傷害事件では駄目なのか?
私は娘にも口を酸っぱくして言っている。「どんな理由も、それはいじめをして良い理由にはならないんだよ」と。
- 学校で空気読めないムカつくヤツを殴った→いじめ
- 道を歩いていてムカついたヤツがいたらか殴った→傷害
公共の場でどんなにムカつくこがあったとしても、人を殴ったら傷害として訴えることが出来るのに、学校だと「いじめ」と言うことで処理されてしまうのは変だと思う。
私が神戸市の教師いじめの問題について過敏になってしまうのは、娘が学校で微妙な立ち位置にあるから…ってこともある。
娘は現在「いじめ」とまではいかないけれど、クラスで力のある女子から目の敵にされている。
娘には仲の良い子もいるし、今のところ微妙なところで踏みとどまっているけれど、バランスが崩れた場合、私には戦う心構えは出来ている。
先日、娘は仲の男子から「ライングループで悪口流れてたけど大丈夫か?」と、ライングーグルで悪口を言われていることを聞かされた。
首謀者は分かっいるし、今のところ他の子が乗っかっている感じがないことと、娘自身が「それくらい、別に気にしない」と言うので今回は様子見することにしたけれど、娘には「ラインは証拠が残るからね。我慢出来なくなったら、うちは相手の子を訴えるくらいの事はするから」と伝えている。
私。普段は穏やかに暮らしているけれど、本質は武闘派なので「うちの娘をいじめてみやがれ。後悔するまでトコトン追い詰めてやるからな」くらいの事は思っている。
とりあえず担任や学校に相談するとは思うけれど、埒が明かないようなら相手にとって超絶面倒くさいやり方でもって、キッチリと対応させて戴く。
「いじめ」なんて言葉に惑わされては駄目だ。
加害者の犯した罪は糾弾して償わせる。これからの日本は当たり前のことを当たり前のこととして処理する流れを作っていく必要があると私は思う。