娘は体操教室の先生から先日の選考会について「本番強いなぁ」と褒めてもらった。
選考会で娘は全く緊張した風もなくいつも通りの実力を発揮した。体操教室の中だけの選考会とは言うものの、通っている教室ではなく本部教室での選考会でアウェイ感ありあり。
さらに言うなら選考は一般的な体操の大会と同じ方式で行われ、ギャラリーには保護者がギッシリだったので、緊張でいつも通りの実力を発揮出来なかったお子さんもおられたと思う。
しかし娘は「私、本番に強いタイプだから!」と自信満々だった。
……と言うのも、娘は幼い頃から私と夫にある種の洗脳を受け続けてきたのだ。1つは強運の持ち主で「なんか持ってる」ってこと。
もう1つは「本番に強い」ってこと。実のところ私達夫婦は娘が特に強運の持ち主で「なんか持ってる」とか、本番に強いとか本気で思っている訳ではない。
「強運の持ち主」については娘名義で出した懸賞が当たるたびにこう言い聞かせてきた。
「あなたは強運の持ち主だから引きが強い。世の中にはたまに強運の持ち主がいるんだけど、このタイプの人はイザって時に必ず良い結果を引き当てるからね」と。
実のところ娘がよく懸賞に当たるのは私が娘の好きそうな懸賞があればマメに出しているからであって、ハズレの数も半端ない。
しかし、そこのところは伏せておいて懸賞に当たると「さすが、なんか持ってる子は違うわ~」と言い続けているものだから、娘は自分を「なんか持ってる」と思い込んている。
「本番に強い」も同じことで、発表会とかテストで娘が実力を発揮した時は必ず「流石、本番に強い子は違うわ~。緊張して実力を発揮出来なくても不思議じゃないのに。これは凄いわ~」と言い続けていたため、娘は自分を「本番に強い」と思いこんでいるのだ。
人間の「思い込み力」って凄いなぁ…と改めて実感させられた。
娘の思い込み力については他にもあって「あなたはセンスがあって絵が上手だし、工作も上手だ」と言い続けて育ててきたため、娘はずっと「自分はセンスがあって絵が上手で工作が得意」だと思い込んでいた。
しかし実のところ娘はセンスは悪くないのだけれど、夫ににて壊滅的に不器用で絵も工作も得意どころか下手くその部類に入る。
流石にこれは娘が自分と他人を客観的に較べられるようになった時「どうやら私は不器用らしい」って事に気付いてしまったため、残念ながら洗脳は解けてしまった。
しかし「強運の持ち主」とか「本番に強い」とか言う根拠の無いものについては、このまま持ち越し欲しいな…と思っている。
少なくとも「本番に強い」については成功体験を重ねることで本番に強い人間になるんじゃないかと思う。
「運も実力のうち」と言う言葉があるけれど、思い込みだろうがなんだろうが「私は運がいい」「私は本番に強い」と思って生きていけるなら、素晴らしい事だ。
私と夫が娘にかけた洗脳がこのまま娘に根付いてくれる事を願うばかりだ。