ダガー賞を受賞した『ババヤガの夜』以降、王谷晶にハマってしまったので、王谷晶作品を次々と読み進めている。今回は初めてエッセイ本を読んでみた。『カラダは私の何なんだ?』は2019年に発売された『どうせカラダが目当てでしょ』を改題して文庫化したものとのこと。
王谷晶はかつてTwitter(現X)を持っていて、そこそこのフォロワーを持っていたとのこと。(現在、そのアカウントは削除されている)ウェブライターとして活動していた時期もあったそうで『カラダは私の何なんだ?』はネットスラングなどもガンガン登場するし、なんと言うか…紙ベースの本と言うよりもインターネットの読み物みたいな雰囲気漂う1冊だった。
カラダは私の何なんだ?
- 社会から女性の肉体へ向けられる、美容や出産といった「こうあるべき」という過剰な期待や決めつけに対し、王谷晶が抱く違和感の正体を一つずつ言語化。
- 髪・乳・腹・声など、全身のパーツごとに章を分け、日常生活で無意識に押し付けられている「女のカラダ」にまつわる呪縛や、不条理なラベリングを徹底的に洗い出していく。
- 自身の体験を交えつつ、他人の目線を内面化した「やわらかい洗脳」をユーモアと怒りでもって綴っていく。
感想
『カラダは私の何なんだ?』を読んだことで王谷晶はフェミニストだと理解した。私は女性なので「いいぞ~もっと言ってやってくれ」と思う部分もあったけれど「いやいや。それは違うでしょ?」と思った箇所も多かった。良きにつけ悪しきにつけ、主義主張が強い人ってのは、自分と違う意見を持つ人間に対して、どうしても手厳しくなる傾向がある気がする。
フェミニズム論はともかく。ルッキズム方面については「それってどうなの?」と感じたところがあった。それは体型に関すること。「太っていようが痩せていようが、他人からとやかく言われる筋合いはない」って主張は理解できるけれど、太っているにしても痩せているにしても「健康を害するレベル」となると、話は違ってくるのではなかろうか?
実際、私の親友のFは高校時代から太っていたけど、社会人になって1人暮らしをするようになり、その食生活は乱れに乱れてさらに太り、最終的には身体を壊して人工透析をする身になってしまった。Fは元々腎臓が弱かったのだけど早い時期に節制していれば…と思うと悔やんでも悔やみきれない。「人の体型にとやかく言うべきではない」って意見も分かるけど、当時私はFに対して口うるさくとやかく言っていた。人の体型にとやかく言う時って、ルッキズム云々だけの話ではない。
「いいぞ~もっと言ってやれ~」と思ったのは女性の靴問題。会社組織で働く社会人女性はパンプスを強いられがち。冠婚葬祭もヒールのあるパンプスが正式な靴とされているけど、パンプスってキツイよね。そしてパンプスを履くにはストッキングがいる訳だけど、ストッキングはすぐ破れるし付け心地は最悪。私は足のサイズが21センチしかないため、そもそも足に合うパンプスを探すのは至難の業。王谷晶は足の幅が広くて自分の足に合うパンプスを探すのが難しいとのこと。スーツにスニーカーとまでは言わないまでも、せめてローファーあたりで妥協して欲しいと常に思っていた。
『ババヤガの夜』と『完璧じゃない、あたしたち』を続けて読んで、王谷晶に魂を持っていかれたかと思っていたけど『カラダは私の何なんだ?』を読んだことでのぼせていた頭が少し冷えた。私は王谷晶が好き…と言うよりも、やはり王谷晶の創作物が好きなのだ。エッセイや彼女のプライベート話はもういいかな。
王谷晶はその怒りを創作にぶつけてこそ輝く人だと思う。次はエッセイではなく小説を読みたい。


