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宝塚歌劇『雨にじむ渤海(パレ)』感想。

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宝塚歌劇、月組公演『雨にじむ渤海(パレ)』を配信で観劇した。

最近は宝塚大劇場での公演は全て観劇しているものの、いまだ推しもおらず特定の組を推すでもないゆるゆるスタイル。

私は「舞台は足を運んで生で観てこそのもの」を信条としていて「配信には手を出さない」と思っていたのだけれど『雨にじむ渤海(パレ)』はどうしても観たかったのにチケットをゲットすることが出来なかった。バウホール公演は座席数も公演日数も少ないのでチケットを手に入れることが難しく、リセールにチャレンジして何度か遭遇するも押し負けて惨敗。とうとう配信に手を出してしまった。

宝塚の感想を書く時は毎回書いているけれど私はヲタクで宝塚歌劇を愛しているものの、ガチガチの宝塚ファンではないのでヅカ用語は使いませし愛称で呼んだりもしません。

スターは敬称略が礼儀…と考えているので「さん付け」表記はしませんのでご容赦ください。(もちろんご本人と対面で話をする機会があれば『さん』付けでお呼びします)

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雨にじむ渤海(パレ)

先にお断りしておきます。今回の感想はネタバレ込です。「ネタバレNG」の方はご遠慮ください。

そしてさらにお断りしておきます。今回の感想は宝塚歌劇ファン目線と言うよりもBL目線、舞台ヲタク目線に寄りがちな感じなので「宝塚歌劇にBL感覚を持ち込まないで欲しい派」の方はご遠慮ください。

登場人物

  •  テ・インソン 渤海の若き国王。王妃ウンビンの夫。王妃の弟とは義兄弟関係。セウォンとは谷底で出会う
  • セウォン(市井の民)谷底でインソンを救った民の青年。彼が王であることを知らずにインソンと接する
  • ウンビン インソンの王妃。実弟を夫の手により殺害される

あらすじ

物語の舞台は物語は10世紀の渤海(パレ)。中国東北部・朝鮮半島北部にかつて存在した幻の国を舞台に始まる。かつて「海東の盛国」と讃えられた渤海、隣国・契丹の侵攻によって滅亡の危機にある。【※なんちゃって中国・朝鮮な歴史ファンタジーなので史実と違う設定】

渤海の国王であるテ・インソン(主演:礼華 はる)は、幾度もの暗殺未遂に見舞われ、心を閉ざしてきた人物。彼は自国の混乱のさなか、身内である王妃ウンビンの弟による暗殺未遂さえも断固として死罪に処し、その冷徹さから国民や周囲の人物から恐れられていた。

一方、市井の民として生きる青年セウォンは、渤海の現実を肌で知り、国に対して複雑な思いを抱いている。

ある晩、インソンは何者かに谷底へと突き落とされてしまう。――そして、偶然その場に居合わせた市井の民・セウォンに助けられ、かろうじて命を救われる。

瀕死の状態から回復したインソンは王宮へ戻らず、身分を隠して民と同じ生活を送る決断をする。命を狙われる恐怖から解放されたインソンは民の暮らしに触れ、セウォンとの交流を重ねる中で、次第に閉ざされていた心の氷が溶けてゆく。

やがて王とセウォンは互いの存在を意識するようになる。身分も立場も異なる二人の関係は、友情とも信頼とも、そしてそれ以上とも言い切れない曖昧な形で深まっていく。

しかしインソンには王妃ウンビンがいた。彼女は政(まつりごと)を理解し、王を支える存在でありながら、王の心が別の場所に向かっていることにも気付いていた。そしてセウォンにも婚約者がいるのだった。

インソンが民と過ごす中、渤海王宮では権力闘争が激化していた。夫である王・インソンの消息不明を受けた王妃ウンビンや、国政を実質的に動かす執政、そして隣国・契丹の間諜(スパイ)の影が暗躍する。彼らの私利私欲は国を乱し、渤海の存続を脅かす戦いへと発展する。

インソンが死んだと思われていた宮廷では王妃ウンビンが夫の存命を信じながら敵対勢力から懸命に王座を守っていた。しかしインソンの帰還によりウンビンは王座を奪った逆賊とされ捕らえられてしまう。かつての王の冷酷ぶりから王妃でも死刑は免れないと宮廷の誰もが思う中、戻ったインソンはウンビンを信じると宣言し抱き寄せた。

しかし、契丹族 耶律阿保機率いる暗殺部隊の一派が宮殿の地下の秘密通路まで迫ってきており、そのなかには大量に描かれた王インソンの人相書きとそれを描いたセウォンの姿があった。辛くも暗殺部隊を封じ込めたインソンは、セウォンを諸共地下牢に幽閉するが、あれほどに心優しかったセウォンが自分の命を狙う側に加担していた事に思い悩む。

そのしばらく前、セウォンはインソンの残していった剣から彼の正体が王であったことと、立場の違いからもう二度と会えなくなったことを悟った。さらに契丹族長 耶律阿保機の息子 耶律突欲に渤海王を知る人物であると特定され、王の人相書を大量に描くよう脅される。セウォンは人相書を描く条件として自分も王の暗殺部隊に入れてほしいと交渉したのだった。

王妃ウンビンは地下牢を訪れセウォンとまみえる。セウォンは「ただインソンに会いたかった、共に食べた豆の味が忘れらないと伝えてほしい」と告げ、ウンビンはセウォンこそ自分のなし得なかったインソンの心を開いた人物であると悟り。

ウンビンからセウォンの言付けを聞いたインソンは、かつてセウォンと交わした会話の中に出た、豆の汁を使った隠し文字のことを思い出し、セウォンの描いた人相書のなかに契丹軍の軍事機密が書き込まれていることに気づいた。それはセウォンが決死の覚悟でインソンのために伝えようとした情報だった。

隠し文字の情報から渤海の国はもはや裏切りと侵略で崩れつつあると悟るインソンは「国のために死んでいい人間など一人もいない」というセウォンの思いを受け民を隣国へ亡命させるよう手配し自ら大量の民の通行手形を発行する。またセウォンを含む敵軍捕虜も解放するよう命じる。

インソンはウンビンに書を託し隣国へ亡命していつか渤海の再興するよう命ずるが、ウンビンはインソンと共に契丹に投降することを選ぶ。

ウンビンの腹心の手配で地下牢からの脱出路を見出したインソンとウンビン。インソンは脱出前に自ら牢に火を放ち宮殿ごと炎に飲み込ませた。ウンビンも託された書をその火に投げうち、王夫妻自ら渤海の歴史に終止符を打つ。

セウォンは、隣国への亡命のために仲間たちと国境へ向かっていたが、インソンのことが気になって渤海へ戻ってしまう。また脱出したインソンもウンビンから「王ではなく一人の人間として会いたい人のところへ行って」と諭される。

かつて共に渤海の都を眺めた橋でインソンとセウォンは再会した。燃えゆく渤海の都に雨が降り始め、インソンは着ていた赤い羽織をセウォンにかけて抱き寄せるのだった。

攻め攻めの脚本に驚き!

色々ご意見あるだろうけど、私は宝塚歌劇でまさかのBLエンドに驚きを禁じ得なかった。『雨にじむ渤海(パレ)』は妻だったり婚約者だったりがいる同志が惹かれ合う物語だった。娘役トップが自ら身を引く物語とか、なかなかに攻めている。

テ・インソンはめちゃめちゃ男前だけど物語の最初では「人としてどうなのよ?」って人物として描かれている。最愛の兄が自分を守って死んでしまったり何度も暗殺されそうになったり、王としての重圧があったりしたのは気の毒だとは思いつつ、それでも世の中には立派な王だっている訳で。「おい、インソン。確かに可哀想な立場かも知らんが人としてその態度はどうなのよ?」って感じ。

そんなインソンが出会ってしまうのだ。性善説を地で行くようなセウォンに。セウォンはインソンとは正反対のキャラで実に良い人。さらに言うなら人懐っこ子犬のようで「こんなヤツおったら誰だって好きになるやろ?」なタイプ。

インソンはセウォンに出会ったことで生き方から人柄から何から何まで変わってしまう。恋って素晴らしいね。

「他人なんて信じられない」とか「自分には国を守る使命があるむと言っていたインソンの変容は最高過ぎた。

  • お前の為に国を護る
  • 国なんか滅びていいからお前に生きて欲しい
  • お前になら騙されてもいいと思った

「私は王として国を守らねばならない」と言っていた男の変わりようたるや!

インソンとセウォンの2人を愛でつつ私はアニメ『美少女戦士セーラームーンSuperS』の天王はるかと海王みちるを思い出してしまった。はるかとみちるの2人はずっと「タリスマンのためならどんな犠牲を払ってもかまわない」と言っていたくせに、最終的に海王みちるは「はるかのいない世界なんて、守ってもしょうがないじゃない」と言う名言を残している。

国よりも何よりも君が好き。君が大事。君こそわが全て。

……いいじゃないか。それでこそ恋ってもんだ。現実にそんなヤツがいたら大迷惑だけど物語の中ではオールオッケー。

考えてみてくださいよ。政略結婚とは言え2人も子を成した後に夫が国も家族も捨てて男と手を取り合って生きる道を選ぶとか狂気にもほどがある。宝塚歌劇だから…創作だから許される世界だと思う。

バウホールという空間との相性

『雨にじむ渤海(パレ)』はバウホールだから公演出来たのかな~と感じた。大劇場では箱が大き過ぎる。

王妃妃ウンヒンは「正妻」なのに誰よりも孤独で誰よりも王を理解していた。ウンヒンの愛は所有欲ではなく救いたいという願いでもなく「理解してしまったがゆえに距離を取る愛」として描かれている。この静かな諦念を描くには大劇場で無理だったと思う。

観客と距離が近いがゆえに雨が降り、にじむような想いを演出することができたのだと追う。

『雨にじむ渤海(パレ)』で降る雨は「楽しい場面だから降る」とか「悲しい場面だから降る」とか「別れの象徴として降る」といった分かりやすい記号として使われていない。雨が印象的に使われる場面に共通しているのは関係性が変わる直前や「もう戻れないが、まだ言葉にならない瞬間」だったりする。

はっきりした別れや愛の告白ではなく、にじんだままジワッ確定してしまう感情を包むように雨が存在していて、舞台の間はずっと「雨」を意識していた。

宝塚歌劇らしい美麗な作品

『雨にじむ渤海(パレ)』はまさかのBLエンドに驚かされたものの、宝塚歌劇らしい美麗な作品だった。男同士が並ぶ図…と言っても、男役トップとセカンドだものね。美しいに決まっている。

そして役どころ的には可哀想ではあったものの、娘役さんは強くて賢い王妃ウンビンを熱演されていた。報われないポジションではあったものの流されるタイプの女性ではなかったなぁ~と。今回はチケットを取れなくて残念ではあったけれど配信で観ることが出来たのは幸せだった。大劇場公演ではないものの宝塚歌劇に名前が残るタイプの名作だと思う。

宝塚歌劇感想
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