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いつでも会えるは二度と会えない。

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この夏は20年ぶりにCADオペ時代の同僚と飲みに行ってきた。

元同僚はハウスメーカー時代、机を並べて働いた間柄。当時は働き方改革前だったので女性でも終電ギリギリまで働くとか普通にあったし休日出勤上等…って感じただった。今にして思えばよくぞあの状況で心身保っていたなぁ~と感心する。

今の感覚で言えば完全にブラック職場だったけれど、その分「助け合わないと死ぬ」みたいな感覚が発動するのか人間関係は悪くなかった。

元同僚も私も派遣社員だったので元同僚は私より先に辞めて別の会社に派遣され、私もほどなくてして別の会社に派遣されるようになった。互いに結婚して互いに子どもが出来た。子どもが小さい頃は互いの家を子連れで行き来したこともあったけれど、子どもの成長と共に行き来は途絶えて現在に至る。

互いの誕生日とかお正月にはメールだったりLINEだったりでやり取りしていたけれど、突然彼女から「久しぶにに会おうよ」と連絡があったので二つ返事でOKした。直接会うのは15年ぶりくらいだったけれど、子が小さい時は飲むどころではなかったので飲みに行くの20年ぶりだた。

20年ぶりの飲みは互いの中間地点にあたる場所の居酒屋。16時に待ち合わせ、店を3軒ハシゴして解散は23時。実に7時間も喋り通しに喋っていたことになる。いくら久しぶにだからって、なかなかイカレている。

お互い積もる話はいくらでもあって話は尽きることがなかったりだけど、別れ際に彼女が「どうして突然会おうと思ったか」について話をしてくれた。

結婚してからずっと家族優先でやってきた。家族とか仕事優先になりがちだけど、自分がその気になりさえすれば会いたい人にはいつでも会えると思ってたんだよね。だけど、好きだった人(恋愛的な意味ではなく)が突然死んでしまって2度と会えなくなってしまった。いつでも会える訳じゃなかった。会いたい人には会っておこうと思ったんだよ。

「いつ死ぬか分からない」ってのは50歳を越えたら当然の話。

趣味のことに関しては「私も50歳越えたし、いつ死ぬか分からないから後悔のないように好きなことをしよう」と思うようになったけれど「私はいつ死ぬかも分からない。そして自分の周りにいる人もいつ死ぬか分からない」って考えには至っていなかった。自分の親達のことに関しては「悔いの残らないように」と思っていたけど、よくよく考えてみれば私の友人達だって、ほぼ全員50歳を越えていたのだった。

「いつでも会える」って考えはそろそろ捨てるべきなのかも知れない。むしろ誰かと会う時は「二度と会えないかも知れない」くらいでいた方が良いのかも。

元同僚とは「これを機にちょくちょく会おうね」と言って別れた。そしてこれからは趣味のことと並行して「ご無沙汰している人と会う」ってことも意識して生きていこうと決意した。

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