黄金週間に高校時代の友人Sとランチしてきた。
高校時代の友人…と言っても私と彼女の接点は「高校が同じだった」って事だけ。3年間1度も同じクラスにならなかったし部活も違っていた。私とSを繋げてくれたのはFだった。全員、本好きのヲタクで図書室の常連だったので、アッと言う間に親しくなった。
Sとは華道の流派が同じだった…って事もあって色々と話が合った。Sはかなりのお嬢様で茶道華道をバッチリ習っていて、何かの機会には着物を着るような人だった。
お互い色々あったけれどSは結婚して夫と共に夫の実家のある徳島へ行った。Sの夫は全国的に支社がある会社で働くサラリーマンなのだけど「最終的には徳島に転勤して腰を落ち着けたい」と考えいた。
私もSも所帯持ちになり子どもを生み育て50代に突入した訳だけど、互いの子どもが小さい頃は何度か家族ぐるみで遊んだりしたものの、子どもの成長と共に受験だのなんだの…言う時期は電話や贈り物のやり取りだけで直接、会うことがなかった。
この黄金週間。Sは親の介護関係の野暮用で大阪に戻ってきていて、用事の合間に合ってランチをすることになった。「旅行を兼ねた帰省」って訳じゃないので、本当にランチだけで解散…って感じだった。
ランチは美味しかったしお喋りは楽しかった。今回はどちらかと言うと私が聞き役に徹した。と言うのもSは親の介護のことで心身シンドイ状態なので「聞かなきゃ(使命感)」みたいに思っていたのだ。
家族の病気とか介護的なところは私も経験があるのでSがいまシンドイ状況にあるのは身に沁みて分かる。だけど、そのシンドイ感じは永遠に続く訳じゃないし「ちょっとだけ楽できる方法」なんかもある。Sには「使える介護サービスは最大限に使うこと」や「親の希望を尊重するのは大事だけど100%親の希望に沿っていたら、こっち(介護者)が潰れてしまうのである程度、こっちも強く出ること」や「多少のお金で解決できることはお金で解決する」ってことなどアドバイスした。
看病や介護は綺麗事ではやっていけない。短期決戦型ならやり通せるかも知れないけれど、長期ともなると介護する側が潰れないようにしないと最終的には全員不幸になってしまう。
Sとはランチの後、母校の校舎を一緒に見て駅で別れた。
「大阪に帰ってきたら声かけて。日時の都合は私が全面的に合わせるから、ちょっとでも会って喋ろうね」と約束した。
むかしむかし。私の父が長い闘病の後に死んだ後、今度は弟が事故で指を切断する大怪我をした時、Sは「何も出来ないけどお見舞いさせて」と私の家の最寄り駅まで駆けつけてくれた。駅の改札でSが力強くハグしてくれて嬉しかったことを私は今でも忘れない。
あの時、Sがしてくれた事と同じことをお返しできるとは思っていないけれど、今度は私がSを支えられたらいいな…と思っている。
三浦綾子の『塩狩峠』の中でこんな一説がある。主人公、信夫に祖母のトセが言い聞かせる場面。
紙一枚いただいても、恩は恩。人の恩を忘れるのは、犬か猫ですよ。
三浦綾子『塩狩峠』
私は人間なのであの時、Sから受けた恩はは今もずっと覚えている。
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