先日、家事をしながらAudibleで『心の休ませ方 「つらい時」をやり過ごす心理学』を聞いた(読んだ)。この類の本って買ってまでは読む気にならないけれど、サブスクのAudibleなら流し聞きしても良いかな~と。
昨年、私の職場はメンタル病んで休職したり、どころか退職したり、休職や退職しないまでも「神経内科の薬を飲みながらギリギリでやってます」みたいな人がいたりと地獄絵図だった。
新年度になって新しい人がやってきたのだけど彼女達にはぜひとも健やかに年度末まで働いて欲しいと思っている。しょせん私はパート職員でしかないけど4年目ってことで職場では中堅以上になってしまっているし、現場最年長ってことで若い人の話を聞くことも多いので何か配慮とか出来たらいいなぁ~と。
『心の休ませ方 「つらい時」をやり過ごす心理学』は、なんだかまとまりのないハウツー本でどちらかと言うと「鬱病になった人(なりそうな人)がどう生きるべきか?」みたいなことがやたら多かった。それとも共に「こういう育ちをしてきた人は大人になってから鬱病になりやすい」みたいなことも書かれてあった。
「なんか断定的に書いてるけど本当にそれだけが原因なんですかね?」みたいな話も多くて、全面的に信頼した訳じゃなかったけれど私にとって学びも多かった。
まずビックリしたのは私自身はこの本の説によると「大人になってから鬱病を発症しても仕方がないような育ちをしていた」ってこと。
親子の立場の逆転…特に子が親の世話を余儀なくされる状態で育った子は鬱病を発症することが多いと言うのだ。私の母は40代で主婦業を放棄しちゃっていたので、私は10代から家事全般をこなしていたし、弟の高校の入学式も私が行った。当時は深く考えていなかったけれど自分が子育てをするようになってから「私の母はロクでもない母親だったな」ってことに気がついた。
……とは言うものの。私は鬱病を発症していない。自分で言うのもなんだけど、どちらかというとメンタル的な耐性は強い方だと思っている。何故なのか?
『心の休ませ方 「つらい時」をやり過ごす心理学』には「鬱病にならいための方法」みたいことも書いてあったのだけど「コレだ!」ってところがあった。
「自分の辛さを誰かに話をする。飾らず、ありのままに悲しいかったことや腹の立ったことを口に出す。話す相手がいなければ日記に書いても良い」
そう言えば20代後半から私はずっとWebに日記を書き続けてきた。エネルギッシュな時期などは『白い木蓮の花の下で』以外にも「裏日記」を作って恨み辛みをぶつけるようことも書いていた。思い起こせば裏日記にまで手を出していた時期は睡眠時間を削ってまで書き散らしていて私の人生でもストレスが最高潮だった。思うに…私は書くことで自分を救っていたのだなぁ。
ストレスフルな人は匿名で日記を書けばいいと思うよ!
「心の内を吐き出す作業」以外だと、これはよく言われることだけど「趣味などで1人で発散する」ってことも効果があるみたい。これについては誰もが持っている技術だと思う。好きなスポーツをしたり、歌を歌ったり、楽器を演奏したりと手段は千差万別だろうけど。
そして余談だけど今回『心の休ませ方 「つらい時」をやり過ごす心理学』を読もうと思ったもう1つの理由は高3の娘の扱いについて。
娘は今年は受験生ってことで「今は落ち着いているものの受験が迫ってきたらメンタル崩れるんじゃない? そんな時、どんな風に対応したら良いのかな?」みたいなところ知っておきたかった…ってのもある。
……で。読んでみて「娘は大丈夫だろうな」と言う謎の安心感を得た。油断せずに対応していくのはそうだけど、過度に心配しなくても良さそう。もっと娘を信用していいのかな…みたいな気持ちになった。
娘は文章を書くタイプではないけれど家ではめちゃくちゃ喋りまくって愚痴りまくっている。娘の愚痴を聞いていると、つい「こうしたら良いんじゃない?」とアドバイスしたくなるし、時には「あなたの同級生はみんなぶつかる問題なんだし、愚痴ったところで仕方ないんだから諦めなよ」と思うこともあるけれど、彼女の「喋りまくり、愚痴りまくる」って作業は心の安定を保つために必要なことだったんだな。これからも粛々と聞かせてもらおうと決意した。
私は読書好きと言ってもほとんど小説しか読まなくて、ハウツー本を下に見ちゃう傾向があるけど、たまには毛色の違う本に触れるのも良いなぁ~と改めて思った。
それはそれとして。心健やかに生きる方法を知っておくのは生きていく上で必要だと思うし、心が弱っている人との付き合い方を知っておくと仕事をしていく上で役に立つと思う。これからはこの類の本にもちょいちょい目を向けていこうと思う。