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一家心中に間違えられた思い出。

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Twitter(現X)で「◯◯したら自殺志願者だと勘違いされてお店の人からマークされた」とか「◯◯したら一家心中だと認定されて旅館の人から心配された」みたいな投稿が流れてはて面白かった。

  • フィギュアを大量に売り出したら「死ぬんですか?」と心配された
  • オフシーズンに家族4人で北陸旅行に行って1人1杯カニを奮発したら一家心中認定された

……等、様々な体験談が連なっていた。どのエピソードも「そりゃ自殺(心中)と思われるのも無理はないな」ってシチュエーションで、どのエピソードも人の温かさに溢れていた。

私も子どもの頃、一家心中だ認定されたことがある。私が小学校6年生、弟が小学校1年生の夏の終わり。母と弟と私の3人で高野山の宿坊に泊まった時の話。

母は初めての男の子を死産していて、その子の骨を高野山の奥の院で供養してもらっている。私も弟も「あなた達にはお兄ちゃんがいた」って話は散々聞かされていて節目の時は高野山にお参りしていた。

お盆時期の高野山はたいそう混雑するので夏休みのどこかでお参りに…と言う話だったのだけど、父は仕事で行けなかったため母子3人で出掛けた。父がいる時は車で出掛けるのだけど、母は車の運転が出来ないため、特急に乗って出掛けて一泊することになった。

宿坊とはお寺が経営している宿泊施設。高野山の宿坊は働いている人も全員お坊さんだった。シーズンオフと言うこともあって宿坊は空いていた。宿坊なのでテレビ等はなく親子3人、部屋に通されてすることのなかった私と弟は畳の上に横になって本を読んでいたのだけれど、そこにお坊さんがやってきた。かなり年配のお坊さんで見るからに偉い人っぽかった。

いきなりとやってきたお坊さんは私達親子に何やらありがたいお話をしてくれた。私は子どもではあったものの小学校6年生。しかも本を読みまくっていたマセたお子様だったので「あ…もしかして一家心中するって思われてる?」と気がついた。

ありがたいお話の後でお坊さんは「どうして宿坊に泊まっているのか?」を母に聞いた。母が死産した子をの供養のためで、今回は夫が来られないために宿坊に泊まった旨を伝えると、お坊さんの表情が柔らかくなった。

私達親子は「一家心中するかもしれない親子」として完全にマークされていたのだと思う。

Twitter(現X)に寄せられていたエピソードはどれもこれも「自殺(心中)を止めなきゃ」みたいな優しさに溢れていたけれど、わざわざ部屋を訪れてありがたい話をしてくれた宿坊のお坊さんも一生懸命だったのだと思う。

私は性善説を支持している訳じゃないけれど、この世は捨てたものではないと思う。縁もゆかりも無い赤の他人であっても「死のう」としている人がいたら懸命に止めようとするのだもの。

そう言えば結婚してからは高野山を訪れていない。ここ最近の高野山は外国人に人気とのこと。私が子どもの頃とは雰囲気が変わっているかも知れれないけれど、いつかまた高野山を訪ねてみたい。

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日記
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