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死に方ガチャ。

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先日。ご近所で仲良くさせてもらっていた高齢女性が亡くなった。

亡くなったのは最近は珍しい二世帯同居家族の姑さんで私はそこのお嫁さん(昨今はの風潮だと「お嫁さん」って書き方はどうかとは思うけれど)と仲良くしている。世間的には「嫁姑は仲が悪くて当たり前」って感じだけれど、仲の良い嫁姑だった。

高齢者にありがちな話…と言えばそうなのだけど、認知症を発症後、散歩中転んで骨折を期に色々トラブルが出てきて施設に入り、その施設で亡くなられたそうなのだけど「老衰です」と言われたとのこと。胃ろう等の過度な延命治療は選択しなかったらしい。

「すごく安らかで眠るように亡くなった。死化粧をしなくても良いくらい綺麗なお顔だった」と聞いて、亡くなられたことについては残念だと思うものの「苦しまなくて良かったなぁ」と言う気持ちになった。

医者で小説家の久坂部羊も著書で「胃ろうをしての延命は高齢者にとって苦しいだけである」とか、ご自身のお父様を看取られた経験から「食べられなくなって木が朽ちていくように亡くなるのは案外苦しくない」みたいなことを書いているけれど、高齢になってから「食べられなくなって死ぬ」と言うのは本当に安らかに死ねるのだな…と妙に感心してしまった。

世の中の多くは法を犯すような悪いこともせず、そうかと言って勲章をもらうような功績も残さずに死んでいくような「普通の人」で占められていると思うのだけど、普通の人の中でも苦しみ抜いて死ぬ人と安らかに死ぬ人の違いって何なんだろうなぁ…と考えずにはいられない。

私の父は苦しみ抜いて死んだ。夫の父もガンで長らく闘病して亡くなっているので苦しんで亡くなったと思う。私の父は色々な意味で残念な人だったけれど、夫の父は真面目で優しい人だったと聞いている。生き方は死に方と結びつかないのだ。

人間の世界は平等じゃない。

老衰で安らかに亡くなったご近所さんは良い死に方をされたな~と心から思う。そして私もできれば安らかに死にたいと思うけれど、こればかりはガチャみたいなものなんだろうな…と思ったりする。

「死に方ガチャ」なんて言うと不謹慎極まりないけど、親だの死に方に限らず人生はガチャを回し続けるようなものだよなぁ。決して自分では選べないし、出てきたものを受け止めるしかない。もっとも死に方の場合、受け取った時点で次は無いのだけれど。出来ることならSSR(楽な老衰)でお願いしたい。

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日記
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