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別れの覚悟を持って生きる。

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私。54歳。なんだかんだ言いつつ毎日楽しく暮らしている。日々の生活に不満はあるけど楽しいこと沢山あるし大事に思う人もいる。上々な人生だと思っている。

ここ数年は親友のFと宝塚歌劇の観劇に力を入れている。ド素人レベルでの初心者だった頃を思えば経験を重ねることで随分と賢くなってきて、宝塚歌劇界隈の常識も少しずつ理解して、安定してチケットを取れるようになっている。

そんな中。宝塚大劇場の『RRR × TAKA”R”AZUKA ~√Rama』でSS席のチケットを2枚確保することが出来た。しかも2列目。私自身は過去にも宝塚友の会でSS席での観劇を経験しているけれど、Fにとっては初めてのSS席観劇だった。

しかしFは観劇を前にして持病の治療で入院することになった。「観劇当日までに退院できるだろう」と言う予想に反して入院が長引き、Fは観劇を断念。娘がFの代わりに観劇することとなった。

実はFは腎臓を患っていて透析を受けている。透析患者になったのは娘が乳児の頃だったから、そろそろ18年だか19年だか…って感じだと思う。かつては「透析をはじめたら10年くらいで死ぬ」と言われていたらしいけど、医療の進歩に伴って透析を受けていても長引きする人はまあまあいらっしゃる。

……とは言うものの。現時点においても私とFとではおおよそ同じ年とは思えないほど健康状態に差がある。Fは腎臓だけでなく足腰も悪くて杖を使用している。感染症にも罹りやすいし悪化もしやすい。コロナも複数回罹患している。

残念だけど順当に考えるとFは私よりも先に死ぬと思う。

それについてはずっと前から覚悟していた。Fは独身なので「私がFの最後を見届ける」くらいの気持ちはあったのだけど、最近のFを見ていると「Fが死んだら私はどうなんるんだう?」ということをリアルに考えるようになった。

人非人と思われそうだけど、私は父が死んだ時はまったく哀しくなかった。父が入院中は「お願いだからそろそろ死んでくれ」と思っていたし、父が夢に出てきても「もう出てこないでくれ」と本気で思う。むしろ父が死んだ時はホッとしたものだ。

例えば現在、存命中の義母や実母が死んだとて、私はそこまでダメージを受けないと思う。父のように「死んでくれ」とは思っていないけれど喪失感よりも「見送った」と言う達成感の方が大きくなるのではないかと想像している。

大切な人を失った後、私はどんな風に生きるのだろう?

娘は親より先に死なないと信じてるので除外するとして。例えば夫とかFが死んだ後、私はどんな風に生きるのだろう? きっとすぐには立ち直れないと思う。

そんなことを考えていると不安でいっぱいになってしまうけれど、先人達を見ていると「それでも人は生きられる」のだ。ご近所には夫に先立たれた人、妻に先立たれた人が何人かいらっしゃる。それこそ「ご町内で1番のおしどり夫婦」だった方は、伴侶を亡くされた時には見ていられないくらいに酷い状況に陥っておられたけれど、人生を楽しむところまで回復されている。

先のことを心配するより、今を大事にする方が先だ。

そもそも私自身が明日死んでしまう可能性だってあるのだもの。今回はFの入院で色々考えさせられた。いままで以上に自分の人生と周囲の人を大切に生きていこうと思う。

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日記
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