今日は大阪北地方へ遠征して、Nさん&Iさんにお逢いしてきた。
目的は慰労を兼ねたお食事会。
豆腐料理屋さんが経営している中華レストランへ行く。
美味しいものを食べて、贅沢して心の洗濯をしよう……てな感じ。
そこで私はNさんから、母上の遺品を戴いた。
遺品と言っても、母上が愛用されていた品物というわけではなくて
母上が元気になったら使ってもらうべく購入されたもので
Nさんの母上は、それを使わないままに他界されたのでまったくの新品だった。
Nさんの母上と私は、服のサイズから足のサイズまで同じだったのだ。
これも何かの縁なんだろうか?
Nさんは「嫌でなければ使ってくれるかな?」と遠慮されていたのだが
家族の優しい気持ちのこもった品物だもの。喜んで頂戴した。
私が「形見」らしきものを頂戴したのは、人生で2度目のことだ。
最初に貰った形見は祖母からだった。
父は借金いがい、何も残しちゃくれなかったけど(笑)
実際のところは「遺品」とか「形見」とかっていうものは
「物」自体には、それほど重要な意味はないように思う。
大切なのは、その人が「そこにいた」という証なんぢゃなかいと。
「思い出」という言葉で括ってしまうには、ちょっと軽過ぎるような。
太陽が沈んでもなお、大地があたたまっているように
なにか、こう……余韻を残していくというのだろうかなぁ。
手にとって感じることも、見ることもできないけれど
ちゃんと残していくものがあるような気がするのだ。
そして、先に死んでしまった人の残していったものが
これから先も生きていかなくちゃいけない人の力になればいいのに……と思う。
慰めでも、気休めでもなくて、そういうものって、あると思う。
明日から、また頑張って働かなくっちゃ……てことで
今日の日記は、これにてオシマイ。
遺品。
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