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「好き」の反対は「嫌い」ぢゃなくて…

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「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」である。
……ってな言葉がありますが
今まで私は「へぇ。上手いこと言うなぁ」なんて思っていただけで
自分自身で、それを体感することはありませんでした。
でも、昨日は初体験しちゃいました。
「好き」の反対の「無関心」ってヤツを。
昨日、まさに「ズバリ・そのもの」に遭遇しちゃいました。
その相手が恋人ではなく「友人」だった…ってあたりは
色気も味気もない話なのですが。
私が「無関心」を実感してしまった彼女は
小学校から高校までを共に過ごした旧友で
昨日の仕事帰り地元の駅で彼女から呼び止められたのでした。
1年以上ぶりの再会でした。
彼女は嬉しそうに私の方へ近寄ってきたのですが
私は、ひたすら困惑してしまいました。
ぢつは私、彼女を年賀状リストから外しちゃていて
今年も「年賀状ありがとう」などという
そっけない「お返事年賀」を出したところだったのです。
それでも彼女は、そんな私の気持ちに気付かないのか
それとも気付いていて知らぬふりをしていたのか
それは、それは嬉しそうに自らの近況を語り
共通の友人の近況を尋ね(彼女は外の友人とも疎遠になっているようでした)
私の近況を知りたがりました。
でも、私は彼女の近況なんて、まったく興味はありませんでしたし
私の近況を、わざわざ語って聞かせる気にもなれなくて
愚弟の事故の話もずに「相変わらず元気にやってる」
……などと、適当なことを話して、彼女と別れました。
彼女は愚弟を小さい頃から知っているので
愚弟の事故のことを言わないってのは仁義に反するよなぁ~
……なんて、思ったのですが
それより、何より、私は彼女に対して
「懐かしさ」とか「喜び」といった感情をまったく抱けなかったのです。
私は彼女と喧嘩をした訳でもありませんし
彼女から不愉快な思いをさせられた訳でもありませんでしたが
彼女の存在は私にとって「遠い過去」であり「旧友」でしかありませんでした。
歳月は人を変え、人と人との距離までも変えてしまいますね。
私は彼女を嫌いになった訳ではないのだけれど
私には、大切な絆を結ぶ友人ができて
いつの間にか、彼女が「無関心」の対象になっていたのでした。
それなのに彼女はいまだに「変わらぬ関係」を信じていたようで
無邪気な笑顔でもって「懐かしさ」と「また逢おう」を連発していて
そんな彼女を見ていると
私は、ひどく哀しい気持ちになってしまいました。
「好き」の反対は「嫌い」ぢゃなくて「無関心」というのは
まったくもって本当だなぁ……と思いました。
昨日は私が「無関心」という気持ちを抱いてしまったのだけれど
いつか私も誰かから「無関心」の目でもって見られるかも知れません。
少しでも気に掛けてくれる人がいるというあわせを噛み締めつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。
<追記>
『はてしない物語』に出てきた敵は「虚無」でしたね。
「無」というものは人間にとって、なんとなく恐い存在なのかも知れません。

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